レビュー:夢にひたむきな少女たちの尊さ、パリに咲くエトワール

引用:https://sh-anime.shochiku.co.jp/parieto-movie/
©「パリに咲くエトワール」製作委員会

ポストという言葉がある。
その後に単語が続けば、何かの後や次を指す言葉になる。
初めてこの作品を知った時、制作陣の名前を見てげんなりしていた。
ワンピース、魔女の宅急便、ヴァイオレット・エヴァーガーデン。
どれも有名な作品で1度は見たものばかり。それらはとても評価が高いのも知っている。

それでも引っかかりがあったのは、たいていそうした宣伝文句を使う割に面白くないこと。
主役は相変わらず声優を起用していないし、主題歌のアーティストが関わったアニメ作品など見ていない。
これでどうやって足を運べばいいんだと思った。
イラストボードもジブリ特有の古臭さが残っていたし、予告を見ても主役の声の裏返ったような表現に拒否感があった。

ところが意を決して足を運び、鑑賞したら面白かったのだ。
激しく来るものではなく、じわりじわりと高まる熱に冒され、気づけば終わっていた。
長く残る熾火のような感覚は身中に居座り、足は売店へと向かう。
しばし悩んでクリアファイルとパンフレットを購入していたのだ。
いったいどうしたというのだ。予告編の宣伝文句のように、魔法でもかけられてしまったのか。
確認するために、さきほど見てきた熱が冷え切る前に記していきたい。

本作品を楽しめたポイント

千鶴のバレリーナとしての成長、夢を叶えるまでのサクセスストーリー
フジコの献身、夢に破れてしまった少女の苦悩と救済
優しいご近所さん、美しい背景、自由に生きる民衆

目次

概要

20世紀の始まり、叔父についていく形で半ば強引にパリへ渡ったフジコは画家を目指していた。
叔父の画廊を手伝いながら絵を勉強する日々のなか、5年前に出会った少女と再会する。
千鶴はフジコと一緒のバレエを鑑賞し、その魅力にとりつかれていた。

千鶴の夢はバレエを踊ることと知ったフジコは、アパルトマンの青年ルスランの協力のもと、母オルガに頼み込んでバレエのレッスンを認めさせる。
千鶴は小さな頭、東洋人にしては長い手足と独学ながらもある程度の練度があった。
着々とバレエの腕を磨き、バレリーナとして夢を叶えようと懸命に努力する。
フジコは千鶴を支え、応援する。
2人は夢を現実にするべく数々の困難と対峙した。

多くの人々の支えもあって、ついに千鶴はバレリーナの1人として群舞に参加し、オペラ座のステージで踊る。
その光景を見たフジコはかつての感動を思い出し、絵の情熱を取り戻す。
フジコの絵はカフェに飾られ、それ以外にも何作か作られた。
彼女たちはパリから日本へ帰国するが、再びパリへ戻ってくると誓った。

立ち上がりの静けさ

実を言うと、序盤はそこまで気乗りしなかった。
冒頭でストーリーを説明するテロップの垂れ流しは映像と劇伴、セリフでみせることへの逃げと感じた。
「スターウォーズ」は長すぎて論外。
「紅の豚」はそもそもフォントサイズが小さすぎてよく分からないけど、短いからまだマシに思えた。
「パリに咲くエトワール」では大きめのフォントなので読みやすかったが、それでも世界観説明をあのテロップで流すのは下品だ。

1907年。明治時代の末期だが世界の意識はまだ男尊女卑が残っている。
パリなら東洋のアジア人だからといって不当な扱いを受けることも多い。
差別意識は今以上に色濃くあった時代だ。それに、第一次世界大戦も近い。
パリに行って5年。
フジコはフランス語も堪能になり、画廊で元気よく手伝っている姿は通りの人間も知っているところ。
フジコの社交的な性格もあわさってアパルトマン(賃貸の集合住宅)の住人や大家さんとも仲が良い。

そう、出来すぎているのだ。
本作でフジコが誰かと明確に争うシーンは全く無い。
唯一のバトルは全て千鶴が担当しており、フジコが身体的危機に陥ることはないのだ。
また主役の2人は東洋の日本人だからといって極端な差別を受けておらず、相当扱いが良い。
閉鎖的世界と評されたバレエ団にも、千鶴は将来性のある実力者として認められている。
意図的に差別、争いをカットしているのだ。本題はそこではないからだろう。

こうした波のなさ、多くの事柄が最終的にプラスばかりに向かうので掴みが薄かったのだ。
背景は綺麗だし、近所の多様な人から愛されているのは見ていて心地よい。
それだけに、平坦さから生じる淡白さが目立った。
千鶴の物語が始まるまで、ストレートに投げつけるならつまらないという言葉しかない。

千鶴のサクセスストーリー

それではこれが駄作かといえば違う。
千鶴の物語が面白かったからだ。むしろ千鶴が単独の主人公といえるかもしれないくらいに。
薙刀の道場、一人娘で跡取りだから運命がほぼ決められている。
世界に広めるためパリへやってきたが、彼女の願いはそこに無い。

あるのはひとつ。バレリーナとなってバレエを踊りたいのひとつだ。
コンプレックスのように思われた手足の長さ、出自が日本人だからと尻込みする要素は他にもあった。
一歩を踏み出せない千鶴へフジコが背を押す形で応援していき、2人の運命が大きく変わっていく。

フジコだけでは映画1本のストーリーを支えきれない。
千鶴がいなければ、ただ勉強して夢破れて帰国して終わりくらいのゴミに成り下がったのは間違いない。
この映画は千鶴のためにあるのだ。
フジコは千鶴を日向から、時には日陰から彼女を支えるべく奔走しているときが最も輝いていた。

中盤、絵がまったく描くなくなっていたフジコを救ったのは千鶴の公演だった。
幼いころの感動を思い出したフジコが画家を目指す少女として再起し、いくつもの作品を作ったのは彼女の生き様、夢を叶えた尊さを見て聞いて感じたからだ。

千鶴の生き様を見て心を動かしたのはフジコだけではない。
金にならないと渋ったオルガは最後まで厳しくも千鶴の成功を祈って指導していた。
帰国の列車に乗って帰ろうとした千鶴を引き止めた最後のアイテムは、オルガからのバレエシューズ。
道に迷って苦悩する千鶴を簡単に甘やかさず、ヒントだけ与えて自覚と成長を促す。
まさに指導者として素晴らしかった。

バレエ団のアンヌと意味ありげな瞬間があったので、もしかしたら何かの関係があったのだろう。
そうでなければ何らかの物を渡して舞台袖で生の演技を見させるなど出来ない。
バレエ団に所属した後のレッスンでは、千鶴だけ指導されていないように見えた。
差別かと思えば、プログラムを組むにあたって千鶴が中心(基準?)になっているらしい。
彼女の才能、努力が確実に実を結んでいるのだ。
入団試験では未熟故の課題は残るが、審査員全員の目が変わるほどの出来栄えだった。

異国の友達


嫌味ないじめ役になると思ったマチルダが、千鶴を認めてくれていたのは驚く。
あの手のキャラデザは間違いなくそういった役回りになると思っていた自分の浅はかさが恨めしい。
実力は認めるし話は聞いてくれる。
文句は言うけどもっと上達してこいという応援の気持ちが込められているのがはっきりとしている。

さらに頼まれてもいないのに、わざわざ民間イベントの出し物として出ていた薙刀の芸をこっそり見に来るほど。
顔はむすっとしているというか、何ともいえない表情だったが、それなりに納得したのだろう。
そしてオーディションで初めて出演を勝ち取ったとき、千鶴の隣にいたのだ。
感動する千鶴と抱き合うマチルダの姿。遠目の観客席から審査していたであろうアンヌの優しい瞳。
涙を浮かべるも己を律して話に集中する千鶴。

どこをとっても完璧だった。
マチルダは最初から最後まで良きライバル、そして友達のひとりになっていたのだ。
異国の地でフジコとは違う、完全に外の世界の新たな友人。
そうした出会いがたしかにあったのだと思えば、友情の美しさをここでも摂取できるのだ。

バレリーナに関するエピソードの完成度が高く、これを見て満足しないわけがない。
ためにためて大一番の見せ場でオペラ座を鐘の音と共にぐるっと見せたシーン。
予告編でも同じように編集されていたが、感動してしまった。
そして夢を叶える千鶴の踊り。
フジコの脳裏には初めてみたバレエで見えた妖精のような姿が再び現れた。
あれは憧れ、感動の象徴。夢の原点。死にかけた心がもう1度火をともしたのだ。

夢に1度は破れた少女

このように千鶴は王道ともいえるサクセスストーリーを邁進した。
その影で、夢破れて現実の生活へ消えようとする少女がいた。
それが主人公の1人のフジコだ。

彼女は千鶴のように才能らしい才能の片鱗が見えず、人当たりの良さと行動力で周りを引っ張り回した。
彼女と関わったことで生き方を変えた人もいる。ご近所付き合いもパーフェクトだ。
途中、叔父の若林が投資に失敗して逃げたせいで、アパルトメントを安く不便なところへ移した。
ここでも明るく振る舞って元気に生き、窓から見えるエッフェル塔に感動する場面もある。

だが、そこまでだった。
引っ越しの最中の彼女は背負った荷物もあって下を向き、足取りは重かった。
部屋は汚く狭い。位置からして屋根裏の1室だろう。
画廊の手伝い(叔父の援助)がなくなったから食い扶持を稼ぐためにカフェで働く。
東洋人だからキッチンでひたすら雑用の毎日。小言も毎回言われる。

千鶴が入団試験へ行く前にフジコの働くカフェへやってきたとき、フジコは握手をためらった。
手が油汚れでためらったから、だけではない。
フジコは会いに来てくれた千鶴に対し、こんな顔ならと汚れた手で自分の顔を触るから顔まで汚れた。
千鶴はよそ行きのための綺麗な服、顔、手。
何より夢を叶えるために走る姿と自信に満ちた表情。
フジコはその正反対だった。
油汚れ、自信は陰り、夢を叶えるためではなく、食べるために働く。

とても哀れだった。惨めだったに違いない。
彼女は日本にいた時、花嫁修業を嫌がって絵の勉強をしていた。
パリでも画廊の手伝いの傍らで続けていた。
だがパリに来たからといっていきなり大成するわけではない。
叔父からも絵だけで食べていけないと、彼女は現実を突きつけられている。

わざわざパリまで来てしていることは何だ。
外交官の矢島の誘いを強く蹴飛ばしてまで、あの汚く狭い部屋で生きている意味は、理由とは何だ。
友達は夢にひたむきでまっすぐ走り、今まさに叶えようとしている。
それに比べて私(フジコ)は何だ、何がしたかったんだ!

……そういった苦悩、内にある叫びが垣間見えたのだ。
手を握れなかったのは、対等ではないと思ったから。
夢破れた自分が惨めで、苦しくて、もしかしたら千鶴へ嫉妬があった可能性すらある。

フジコの苦しみと救済


千鶴は心の内の苦しみをフジコやオルガたちに見せた。
フジコはルスランにしか見せられなかった。
千鶴はそのとき物音で起きてしまったので聞いてしまう。

いつも明るく振る舞っていたフジコは、ずっと絵を描いていなかった。
描きかけのキャンバスが増え、途中からそれは壁の方を向いていた。
いつの間にか、窓を見て描かなくなっていた。
布が被せられ、ついにはイーゼルから外されてしまう。

この時代の美術家はピカソやデュシャンをはじめ、後世に名を残す偉大な人物が生きていた。
学べば学ぶほど、自分の不出来が目立つ。パリのいたるところで絵描きを楽しむ民衆がいる。
何より、眼の前に才能や夢を持って輝く人たちがいる。

フジコの心は限界を迎え、雨の夜、ルスランの訪問時に決壊した。
ルスランにとっては思いがけない出来事だった。
単にレッスン時間を1時間早める旨をフジコとルームシェアしている千鶴に伝えたに来ただけだ。
それがフジコが最も触れられたくない、認めたくない現実の辛さに直面し、涙に濡れる彼女を見た。

千鶴はあますことなく聞いただろう。
だが、あえて態度は変えなかった。
オルガが自分を甘やかさず、しかし見捨てず見守ってくれたように。
誰かのためならどれだけ困難なことだろうと行動し、ずっと傍にいてくれた親友のように。

フジコは千鶴の夢が叶った姿を見て情熱を取り戻した。
画廊の手伝いのとき説明していた日本の技法を取り入れて作り出す作品は、人々を楽しませる。
やがて戦争の影響でパリを離れることになったが、ルスランから告白を受ける。
必ずパリへ戻ってくることを告げ、くるくると踊るフジコと千鶴。

戦争が世界規模で激化していき、混沌とした年代へ移りゆく。
もしかしたら同じような形で再会は望めないかもしれない。
それでも夢を抱いて明日に踏み出す彼女たちの姿は、いつまでも眩しくみえた。

さいごに

スタートこそつまらなく、物語の進行にそって徐々に面白くなる尻上がりのような構成。
声についても途中から気にならなくなり、フジコや千鶴の声はこれで良いのだと納得した。
パンフレットを途中まで読んでみたが、およそフジコや千鶴に抱いていた印象とインタビューでの話に大きな差がなかったのは安心した。

美しいパリ、迫る戦争の影があちこちに影響をおよぼす。
夢へ踏み出せない少女と、気持ちを明かせず破れた少女。
彼女たちが懸命に自ら望んだ星を掴もうと生きる姿を見ていない人。
もしくは1度だけでは足りないと感じた人は、ぜひお近くの劇場まで足を運んで鑑賞してほしい。
あなたもきっと、彼女たちを応援して見守りたくなるだろう。

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