レビュー:誰かとご飯、食べていますか? 甘々と稲妻

引用:https://www.ytv.co.jp/amaama/
©「甘々と稲妻」製作委員会

誰かとご飯を食べる機会は、歳を重ねていけば自然と変わってくる。
子供の頃は毎日家族の誰かと食卓を囲んでいるのが当たり前と思っていたのに、成人して社会人生活を始めると、途端に1人で毎食摂ることも珍しくない。
幼少期の食事の機会は単に栄養補給ではなく、食事を通して他人とのコミュニケーションの場にもなる。まさに食こそが人を育てるのだ。
さて、今回の甘々と稲妻はそういった食事について、ある親子へ焦点を当てて物語が進行していく。
これを見た後、懐かしさと共に誰かと食卓を囲んで食事を楽しみたくなっていたのなら幸いである。

「甘々と稲妻」の関連商品はこちらから。
https://amzn.to/4aX0OPG
https://amzn.to/4aJHhU4

目次

概要

妻を半年前に亡くした犬塚公平はシングルファザーとなって、幼稚園に通うつむぎと生活していた。
しかし、料理が全くできない公平はコンビニや店舗での弁当と外食に頼りっぱなしだった。
とある日、花見に訪れた2人は、母にドタキャンされて涙を流しながらご飯を食べる飯田小鳥と出会う。
小鳥との出会いから食事について見直すことにした公平は、3人でご飯を作るようになる。
拙いながらも一緒に炊いた土鍋のご飯から始まった3人の料理が、やがて彼らを料理することへの楽しさに目覚めさせていった。

面白くない食事

公平はつむぎの父親で高校の先生。学校の先生は誰もが知っている多忙な職業のひとつである。
高校なので全教科の準備をするわけでもなく、加えて副担任なので幾らかのフォローはあるだろう。
それでも日々の業務に費やす時間はかなりのものであり、公平の食への関心の無さも相まって適当極まりないものだった。
半年前に死別した妻の件から同僚の先生たちは少し腫れ物のように扱っている。
半年経過しても嫌われていない様子なのが救いだった。付き合いを断り続けてしまえば、やがて誰からも誘われなくなるし、接点が薄くなれば悪評価に偏ってしまうこともある。
昼は学校、朝夕はつむぎの送り迎えをする中で、食事は簡素になっていく。
テレビアニメを見ながらコンビニ弁当をもそもそ食べるつむぎの姿はどうにも痛ましさを覚えてしまう。
幼稚園に通うつむぎは母の死をある程度(手紙を出してほしいと言う点から全てではない)理解しているし、父の忙しさも知っているからこそ大きく文句をつけることはなかった。
毎日買ってきた弁当や外食で済ませるだけ。多感な時期にそれが続いてしまえば当然食べたいという欲求も陰ってしまう。
実際、公平が小鳥と出会う前のつむぎは弁当を残してしまっている。
そもそも味付けが濃いめで栄養バランスも崩れがちの食生活では、満足いく成長など見込めるはずもない。
公平は残業の影響で子育てに手が回らないことがあり、ホームヘルパー(が適切な表現か分からない)の申請をしている。
これはひとり親の子育て支援の一環として行われるサービスだろう。これは現実においても実際に送迎などのサービスは存在するのだ。

飽き


春、桜を見に行った2人がジャージ姿の小鳥と出会えたのは、良い出会いだった。
小鳥の母は料理研究家であり、テレビ出演で家を空けがちなのは共通点である。
彼女と出会った帰り、つむぎは小鳥が美味しそうにご飯を食べているのを思い出したのか、弁当屋の弁当を拒む仕草をした。ファミレスにするかという代替案も蹴る。
結局弁当屋で購入したのだろう。つむぎに突きつけられた弁当のケースにはご飯が3分の1、おかずは半分ほど残っていた。
つむぎは美味しくなかったとはっきり告げた。声がか細かったのは、不満だけど我慢しなくてはならないと公平に気を遣ったため。
弁当の残った中身の内、子供が苦手であろう漬物、野菜のごぼうを除外してもフライ(とハンバーグか?)、鮭、卵焼きといった比較的好まれる副菜が完食されていなかった。
同じ第1話の約5分前につむぎが好きな番組を見ながら残した弁当の中身を見てみると、これまた中途半端な食べ方で終わっている。
残し方はどちらも同じように描写されており、ご飯は3分の1。野菜類は結構残し、卵焼きと鮭は半分ほど残す。
つむぎは好物が肉類、野菜類はピーマンなど苦みがあるものを嫌っている(プチトマトは例外)。
最初の黒い弁当で残した煮物はおそらくじゃがいもと人参。ごぼうはどっちも相当残しているから嫌い。黒の方にあるソースがかかった場所にあったのはハンバーグだろうか。
それなら隣はポテトサラダか。そうなると人参と共にある芋と被っている。
しかしかじったであろう形跡が硬めの印象なので、練り物の線は薄い。
香の物は子供にとって大体不評なので残してあるのは不思議ではない。
卵焼き、鮭、フライなどが残った理由を推察するなら、考えられるのは定番のおかずであること。
いくら好きでも毎日同じものを似たような濃い味付けで食べさせられていては、遅かれ早かれ飽きてしまう。
ファミレスに行きたがらなかったのも、弁当が嫌なら連れて行かれる場所がそこだからだ。
つまり、つむぎは日々の食事に飽きていたのだ。

変わり映えしない味気ない毎日。残業だった公平が帰宅すると、つむぎはテレビの料理番組に文字通りかじりついていた。
そこではっと気付いた公平は小鳥の母が経営する小料理屋へつむぎと共にやってくる。
このとき小鳥の母は不在であり、小鳥と公平は料理がまだ出来なかったので土鍋のご飯を炊く程度だった。
料理屋に来てみれば店主はおらず、素人が作った土鍋のご飯しかなかったにも関わらず、つむぎの顔は輝いていた。
公平は涙を浮かべ、その後つむぎに手料理を作ること、小鳥と一緒に調理して食べることを約束した。
どのような形態であれ、料理は料理である。
白米だけであれほど喜べたのは、やはり家族と同じ食卓を囲んで食べたから。
以降の犬塚家は時々外食はするけれど、公平が主に手料理を振る舞うようになる。
つむぎは心身ともに健やかな成長が見込めるようになったのは素晴らしいことに相違ない。.

料理と育児

公平、小鳥の両名は初期だと全く料理が出来ない。
弁当生活に陥る以前、公平はつむぎに料理を出すも味の出来が悪かった描写がある。
小鳥はアニメだとちょっとした仕草や表情で包丁が握れない事実が表されていた。
原因は動きや顔からしてすぐ包丁で指を切ったことが分かった。
確かに時々包丁で指を切ってしまうのは誰しも起こり得るものであり、切ったときはそれなりの痛みと恐怖が出てくるものだ。
それでも数日しない内にまた包丁を握って料理を作るのは、食べなくては生きていけないから。
最初こそ炊飯だけでも相当な時間を要していたが、2人の料理スキルは少しずつ成長していった。
サブキャラクターに料理の手際が良い友人枠の小鹿しのぶと見た目でそれなりに損をしている八木祐介が登場する。彼らは圧倒的に料理ができる部類であり、メインで作業すれば同じ時間でも圧倒的に完成度の高い品々を作ってしまえるほど。
しかし、しのぶは単に料理を作るだけが料理会の目的にないのをすぐさま見抜き、以降八木も手伝いの形で参加するようになる。アニメでは第6話の餃子パーティーの回でそのあたりが取り上げられた。
あくまで料理会は、誰かに美味しいものを美味しいといってもらえるように公平や小鳥が行っているものだ。
笑顔で美味しいと言ってほしい人は、公平であり、小鳥であり、もちろんつむぎである。
空間そのものが3人には大切なものだとすぐ見抜いたしのぶの観察眼は確かなものがあった。
身も蓋もない言い方をするなら、単に料理上手いしのぶと八木にあれこれ調理させてしまうと感情移入しづらいなどの理由があるからだ。

失敗できる成長の場


この作品は3人の物語であり、残念だがしのぶたちサブキャラに焦点は当たらない。
描写の量はつむぎの幼稚園と料理に関するものが多く、公平が務める高校の描写は相当少ない。
つむぎの成長と変化に比べて、公平と小鳥側は大きく動かないからだろう。
高校生になって唐突なイメージチェンジや騒動を起こすのは精神的に未熟(あるいは迷走)だし、そういった要素はつむぎで無理なく拾っていけるのだから妥当だ。
つむぎは全く手を出さないわけではない。意外にも(公平のアシスト込みで)包丁を握って切ってみたり、材料を混ぜてみたりと手伝いをする。
一方、幼稚園児故に幼さから作業の邪魔をして公平や八木から注意されることもある。
叱られれば子供だから拗ねてしまうが自然な反応なので不快感はない。大人に混じって色々やっていく中で物事の善し悪しを学んでいける良い機会につむぎは立ち会い続けているのだ。
それに怒ってしまう場面があれど本当に排除してしまうのではなく、ちゃんとつむぎが謝れば許して再び調理への参加を認めてくれる。
嫌な立ち回りをするキャラクターはそもそも登場しない。
子ども同士の喧嘩はありふれた内容だし、公平がつい怒鳴ってしまってつむぎと大喧嘩になったところも双方に同情できる要素があるので、一概にどちらかが悪いわけでもない。
高校と幼稚園という離れた環境、母親がいないことで支えが足りず微妙に開けてしまった親子関係すら料理は繋いでくれる。
隣同士の部屋で違うことをする2人から、ダイニングで同じことをする2人に変わっていくさまは、見ていて安心感が湧いてくる。

小鳥

小鳥は公平とつむぎとの時間を料理によって共有するなかで、少しずつ公平のことを好きになっていく。
好意を抱いている様子はかなり分かりやすいものだったが、小鳥は自身の心情そのものは複雑怪奇になっていると感じる。
まず公平は小鳥から送られる好意をどう受け取っているか。
彼は恋愛、性愛の対象として全く見ていない。それなら時折照れた表情をするのは何か。
彼は小鳥を(擬似的な)家族の一員としてみなしている。
公式の原作(漫画版)のインタビュー記事でも、2人を恋愛でくっつけるつもりは全く無いとはっきり書かれている。
考えてみれば、たかが(というのは乱暴な表現)ご飯を一緒に食べているだけの学校の先生が唐突に性愛などの視線を送ってきたら、嫌悪感で満たされてしまうだろう。
彼らの付かず離れずな距離は考えられており、アニメでもきっぱり一線引いたものを感じた。
境界が明白に作られるので安心して見ていられるし、激しい感情の押し引きもない。
離婚してばらばらになってしまったものを埋めようとしている節が小鳥から見えてくる。
故に父のような、気になる男性のような……といった複雑な心になっていく。
原作番外編も含めてはっきりとした関係の構築はなかったとある。
ファンからしてみれば2人は結婚もしくは恋愛関係になってほしいと願うところだが、あえてここは線を引かず曖昧にする美しさがあっても良いと筆者は思う。

さいごに

甘々と稲妻は料理を通じて、公平の子育てや犬塚家・飯田家の家庭環境の穴埋めなどをする作品と感じた。
食べることは生きていくうえで必ず行うものであり、同時に食を通じて様々な経験を得られる。
ただの栄養補給で良いのなら、多くの人にとって食卓を囲む必要すらないのではないかと疑問を投げかける必要があるだろうか。
もし、現在誰かと一緒にご飯を食べる機会に恵まれているのなら、少し立ち止まって共に過ごす時間の意味を考えてみても良いかもしれない。

「甘々と稲妻」の関連商品はこちらから。
https://amzn.to/4aX0OPG
https://amzn.to/4aJHhU4



よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次