レビュー:次世代の新しいハイテンション竹取物語、超かぐや姫!

引用:https://www.cho-kaguyahime.com/
©コロリド・ツインエンジンパートナーズ

竹取物語は日本最古の物語とされている。
学生時代、国語の題材として取り扱われているので知らない人はいないだろう。
タイトルに馴染みがなくても、かぐや姫と聞けばすぐ思い出せるのは疑いようのないところだ。
物語に登場するかぐや姫は月からやってきた地球外生命体。
彼女の美貌は多くの貴族を手玉にとり、あの帝すら翻弄されてしまうほど。
さらに月からやってきた超常的な何者かも出てくる上に、結局かぐや姫は月に帰るというストーリーラインは、やはり人間の想像力は面白いといえよう。
時代を下るにつれ、かぐや姫の物語は色々な形で表現された。

それが今回はインターネット上で配信者として活動する少女の物語になったというではないか。
そもそも公式サイトの紹介で7色に光るゲーミング電柱、そこからかぐや姫が現れるという文言を見て笑ってしまった。
1000年経てば、ついにかぐや姫はゲーミングパーツみたいにギラギラ光るものから出るのかと。
主人公の少女も作曲経験があり、ゲームでちょっとした賞金を稼いでいるのも現代的だ。

これはNetflixで作られたオリジナル映像作品で、視聴機会が限られている故に見ることを諦めていた。
それが期間限定とはいえ映画館で上映とあれば、見に行かざるを得ないだろう。
勢いそのままで書き連ねられたら楽しそうだ。
少しでも見に行きたい、見て良かったと思えたら幸いである。

ネタバレされたくない、まっさらな気持ちで見たい方は今すぐネットフリックスの配信を見るか、期間限定で上映されている映画を見に行くことを強くおすすめする。
あまりの人気ぶりで映画館での上映は1週間限定だったはずが期間延長した。
この映画を見るために遠出して見る機会と価値は十分見合ったものだったと予め伝えたい。

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目次

概要

酒寄彩葉は苦学生。バイトで生活費を稼ぎつつ、勉強も頑張る多忙な日々を送っていた。
彼女の癒やしはネット上にあるツクヨミ(仮想空間)で配信者の月見ヤチヨの放送を見ることだった。
彩葉は推し活をしつつ、ゲームで小遣い稼ぎをする。
何も知らなければ超充実した完璧超人、実情を知れば限界ギリギリの危うい少女。

ある日、彩葉は明日からようやく休みだと重たい体を引きずって帰宅していた。
自宅の安アパート前につくと、7色に光るゲーミング電柱がこれでもかと主張してくる。
抵抗虚しく強引に電柱は開かれ、中から赤ちゃんが出てきた。
夜の赤子は危険があると泣く泣く連れ帰る。
赤子は異常なスピード感をもって成長し、彩葉と同い年くらいになる。
彩葉は成長したかぐやのわがままに振り回されてばかり。

色々あって、彩葉はかぐやの配信者としての活動を手伝うことになった。
現実、仮想どちらでも活動するかぐやの人気ぶりは次第に加速していく。
彩葉はかつての経験から頼られて音楽作りをする。
かぐやは配信者として歌って踊り、両者の関係は深まる。
だが彼女たちの日々に、月から不吉な何かが音もなく迫っていた。

どこかで見たような設定

仮想空間で配信者として活動するのは、現代でさほど珍しくもない。
実写で顔出しするのか、何らかのデータを使って声や動作だけ連動させるのかの違いはあれど、ある時期を境に爆発的に増えた印象が強い。
その配信者を生業とすることについての功罪は様々。簡単にどちらか決められない。

ざっと予告映像などを見た感じは、ダイブタイプの仮想空間なのかどうか、サマーウォーズみたいな世界観なのかと思った。
3DCGのアセットで構築されたマップにどの程度操作や介入がきくかは分からない。
だがプレイヤーはアバターを自由に作って操作できるあたり、現実の技術ならVRChatがそれにあたるかもしれない。技術レベルは大差がついているが。

2030年の近い将来、ここまでのレベルに到達することはない。
ヘッドギアのような形で精神だけ飛ばすような装置は出ない。
スマートコンタクト(スマコン)という目に装着するだけで電脳空間にアクセス出来る超技術が登場した。
操作自体はコントローラーを使っているのでアナログ感は残っているものの、コンタクトをしたままでも生活は可能。
劇中のサラリーマンの男性が眼鏡(もしくはスマコンを目につけていた?)のHUD越しにあるデータ体を見て突然驚くシーンがあったように、若年層だけが技術的恩恵を受けているようでもない。

学校の授業風景もノートパソコンと教科書、ノートといった二刀流。
近未来的な技術はあれど授業風景は極めてアナログな部分も多い。黒板がまだ残っているのだ。
移動手段も自転車、電車、バスのように変わりない。現実と非現実の要素が入り混じっている。
したがって、これまでのSFものにあった完全未来系というより、その過渡期の時代とみられる。
彩葉の収入の手立てがバイトとゲームの賞金(投げ銭?)で辛うじて賄えているらしく、そこも現実味の強い未来感がある。
彼女のような生計をたてている人も現実にはいるだろう。茨の道だが不可能ではない。

ふじゅ~という暗号資産(仮想通貨)から見る経済

超かぐや姫の世界はヤチヨが創造したツクヨミが世界規模の爆発的ヒットをしている。
YCY(ヤチヨ)の文字が入ったアカウント名が記されたSNSを見ている彩葉の背景に、街頭ビジョンがある。
そこにはツクヨミの宣伝とヤチヨが映っているのだが、ここに全世界ユーザー数1億人とある。
この数はアプリのダウンロード数と同じく、1度でもツクヨミに登録またはログインした人のみをカウントするものか、アクティブユーザーをカウントしたものかはわからない。

一般的に考えるなら宣伝目的の利用なので、最大数になる前者の1度でも利用したユーザーだけを見るはず。
これがある期間を計測したアクティブ数なら凄まじい人気ぶりだ。
現実だとVR空間(メタバース)を調べると、例えば「バーチャルマーケット2025 Summer」は14回目で来場者数135万人とある。

リアルに5万人、バーチャルに135万人が来場!“体験型メタバースイベント”へと進化した『バーチャルマーケット2025 Summer』開催レポート

出典:PR TIMES https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000461.000034617.html より

また、総務省が発表しているメタバースの市場動向について、2022年の時点で約2億人(世界)、日本だけでも同年で年間約450万人と書かれている。
古いデータでも分かる通り、ツクヨミというひとつの仮想空間だけでも多数のユーザーを抱えているのだ。
これを見て新たな経済が発生することについて疑問を持つ人など皆無なのは、語るべくもない。

事務局資料

出典:総務省 https://www.soumu.go.jp/main_content/000908177.pdf より

ツクヨミはクリエイター活動を推奨しており、様々な条件を満たすとでふじゅ~がツクヨミ公式から手に入る。
このふじゅ~は暗号資産(仮想通貨)の1種として買い物や任意のユーザーへの投げ銭が可能。
彩葉はゲームの腕前をもって他者からふじゅ~を獲得しており、公式でもお小遣い稼ぎをしていることが明示されている。

さらに彩葉の発言でツクヨミ内での嗅覚、味覚は未実装。
ツクヨミの中で販売されているアイテムは実世界でも販売していて、お金さえ払えば配送もしてくれるサービスがある。
その価格についてはリアルの値段相応。
つまり仮想のアイテムを現実で作ることへのコストについて追加の要求なしで出してくれる良心的な可能性があるのだ。

リアル並という言葉には、現実に置き換えるとブランド料や手数料などコミコミで高くなるけど、妥当な価格と見なしているのか。
もしくはツクヨミ内で売り出す前に予め現実世界での販売を見据えた生産をしているので、せいぜい配送料程度の追加で済むからリアル並なのかの2パターンがあると考えてみる。

現実でもオンライン販売に近い形でVR空間内に店を構え、購入した場合は実際に現物を配送までしてくれるサービスは実在している。
未だメタバースへの参入の壁や利用者の少なさから考えて認知度は低いものの、現実にある設定を無理なく盛り込んであるのだ。

付け加えて面白いのは、ふじゅ~というツクヨミ内の暗号資産(仮想通貨)が彩葉たちのリアルワールドでの買い物に使える点。
赤子のかぐやの消耗品を買うために西竹屋(西松屋)へ訪れた彩葉が、「ふじゅ~ペイで」と支払い方法を告げており、実際にバーコード決済で商品の購入を完結させている。
このときの画面にはふじゅペイとあるが、長音がどうして無いのだろうか。

代金13243円の支払いを決済するとき、画面のふじゅ~ペイの利用可能額は23532円と表示していた。
ふじゅペイ残高は20532円。ふじゅペイポイントは3000pt。
支払履歴が203X年7月12日11時04分39秒とある。
ただ年代は2030年のはずがX表記になっていた。
この作品は数字にも語呂合わせで遊ぶところが多くあったりするので、なにかの意味があるかもしれない。

適当に書いたといわれたらそうかもしれないが。
後々で彩葉の給与が入っている銀行(?)残高は12万以上あったことからして、この支払いは利用可能額やバーコード決済などを考えるとクレジットのように後払いの類だろうか。

筆者たちの現実でもビットコインなどの有名な暗号資産を支払いに使うことは可能だ。
そして彩葉たちがいる日本は、資金決済法でふじゅ~を電子的な支払手段として認められている。
ここも近未来ではなく現実の設定が取り込まれている。決して近未来のあり得ない展開では決して無い。

中盤、かぐやのライバーとしての活躍によって多額のふじゅ~が振り込まれている。
部屋には妙なものが次々購入され、調子に乗って楽しむかぐやへ彩葉が泡銭だと釘を刺している。

それと経済的に上向きになった証拠として、彼女たちが安アパートから家賃35万のタワマンに引っ越したこと。
加えて、引っ越す前でも体調不良によって彩葉が病床に臥せったときは、(かぐやによって)エアコンが稼働していた。
エアコンが動いているのはそのときくらいで、引っ越した後も彩葉は基本扇風機を回して涼をとっている。
かぐやの配信の手伝いをして学業などがおろそかになっている以上、バイトを増やしたり賃金の急上昇があったとは考えにくい。

全てふじゅ~によって得た経済的自由(資産の獲得)である。
ここは特に深い理由もなく唐突に富んでいく長者伝説(致富譚)の要素。
いきなり掴んだ金によって身持ちを崩さなかったのは、彩葉の教育(知性)によるバランス感覚が優秀だったと言わざるを得ない。

ただし、超かぐや姫はそもそもエンタメに全振りして細かな設定を意図的に見ない、扱わない、放棄するといった割り切りの潔さが強い。
喧嘩するシーンはなく、喧嘩やすれ違いによる一時的な別離や仲直りといったドラマは深みや説得力を与えるものの、とにかく冗長だったり観客に視聴・理解に対し余分なエネルギーを要求したりする。

あくまで楽しんで見てほしい、彼女たちの選択(ハッピーエンドのその先)を無理なく一緒に駆け抜けてほしいという目論見が制作陣にあるからこそ、ばっさり切り捨てられた情報が山ほどあるのだ。
それらは小説などの書籍でいくらか補完されている。
特に尺の都合で無かったことにされた心理描写は、まさに時間的制約がない書籍でじっくり拾い集めるのが最適ではないだろうか。

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音楽アニメだが、ボカロの事前学習はいらない

超かぐや姫の曲はオリジナルの音源と、カバー曲の2種類で構成されている。
古い曲なら2009年のメルト。新しいなら2022年のロンリーユニバースだろう。
本作は音楽、バトルアクション、青春、SFの4要素があった。

そこで比重が最も大きいであろう音楽、とりわけカバーされている初音ミク(ボーカロイド)の楽曲について予習がいるかと問われたら、全くもってそれは必要ない。
ヤチヨはAI設定のキャラクターであり、同じく人工的に生まれたボーカロイドのミクの曲が使われているから、ボカロの予習がいると思われがちだ。

しかし調べなくても大した違いはないと思った。
曲がわからなくてもアクションは激しく、作画はギャグとシリアスどちらも問題なし。
曲の歌詞や解釈を理解していれば一部の考察や鑑賞中の伏線の気づき、物語の看破に役立つ可能性はある。

ただそのために今更動画を漁ってしまうのは別の問題が重たく出てくる。
それはネタバレコメントの存在。
Youtube上では今回使われた曲のオリジナル、映画のアレンジやカバーがアップロードされている。
その動画へ飛ぶと、もれなく超かぐや姫関連の感想コメントが溢れかえっている。
中にはネタバレをべたべた貼り付けるレベルの悲惨なものまで。
ショート動画でも(ネットフリックスが初出なので)関連動画はたくさんある。
1度でも開けば後は自動で紛れ込んでくるので展開バレのリスクがどんどん跳ねる。

そもそもサムネイルで壮大に披露されていることもあるので、はっきり言って調べるのはおすすめできない。
彼らの承認欲求を満たすためだけにこちらの楽しみを潰されるくらいなら、調べない方が良い。
知らなかったなら、知る機会として捉えたら良いだけだ(ここまで書いておいて何だが)。

今回は予告編とワールドイズマインのショート、それと公式サイトのあらすじ程度を軽く見てそれ以外をシャットアウトしていたおかげでだいぶ楽しめた。

SF要素はばっちりある

さすがに竹取物語を使っているのだから、SF要素がふんだんにあるのは当然のこと。
宇宙人で技術力はやはり人類を超越しているので色々出来ると思っていたが、時を巻き戻しているとは思わなかった。
こうしたSF好きな人は展開が読めたのだろうか。

筆者はヤチヨの正体を最初は亡き父が残したデータだと思っていた。
同じメロディライン、届いたという発言、さらに冒頭で彩葉が聞いていた曲はRememberというタイトル。
ここから父が残したのかと思っていたが、父親は音楽に造形のある人間に見えたからひっかけだったのだろうか。

ヤチヨの正体はかぐや本人であり、8000年かけた一種の(ある意味)永久ロンド状態だった。
きっかけがどこかは分からないが、かぐやがテンプレ構築のルーティーン世界から人々の暮らしを見て羨ましがり、地球へやってきた。
そこで彩葉と出会い共同生活をして、時期がきたら月へ帰る。

また以前のような退屈な仕事の連続だったが、彩葉がかつて作りかけで止めていた曲を完成させ、それを歌うことでかぐやの意識が浮上する。
もう1度地球へ、何より彩葉に会いたくなったかぐやはたけのこ(宇宙船)に搭乗して飛び立つ。

仕事を終えて引き継ぎまでして準備万端、ただし時間がかなり経過していたので彩葉がどうなっているか分からない。
その問題について、月の世界には超科学によって時間跳躍で調整するつもりだったのでどうにでもなる算段がついていた。

だが途中で隕石とぶつかってしまい、ようやく地球へ降り立ったのは8000年前。
日本史なら縄文時代にかぐやは地球へ降り立った。戻りすぎていたのだ。
宇宙船は壊れまともに動かせず、ウミウシ(犬DOGE、後のフシ)だけが受肉に成功した。
かぐやはウミウシの体を通して世界と繋がれたので、そのまま人類と交流し続ける。

やがて科学技術の発展に伴い、テレビやインターネットが普及していく。
魂だけしかなかったかぐやは、仮想空間上でなら世界と関われる可能性に気づいた。
そこで仮想空間ツクヨミが誕生し、歌姫ヤチヨとして活動するようになった。

後に彩葉がツクヨミ世界にログインしてヤチヨと出会い、夏のあの日にかぐやを拾う。
そうしてかぐやが月へ帰るときがやってきて、またルーティーン世界への順応、反発、地球へダイブを繰り返す。

ここに終わりはなかった。
完全なループではないけれど、実質ぐるぐると回っているようなもの。
さらに8000年経てばかぐやの記憶もおぼろげになっていき、インターネットの普及でヤチヨとして活動できる頃にはほぼ忘れかけている状態。
彩葉を見つけたことで記憶を取り戻し、かぐやの優勝宣言を聞いて衝撃を受けた。
それすらも、繰り返して。

Rememberを聞いて辛うじて精神を保たせていた彩葉は、かぐやとの出会いと別れによってReplyを作る。
かぐやは覚えていたメロディから彩葉に向けて見つけてほしい、届いてほしいと祈りと願いを込めてRememberをヤチヨのデビュー曲として発表した。
この2曲が同じつくりになっていると気づかず、答え合わせで誤解しながら気づく始末。
和歌でいうところの返歌というものにあたるらしい。

世紀末のSF作品を感じるつくり

マンションの一室を借りてSF要素ガン増しにした配線と、複数のPCパーツで青白く光る部屋に改造した。
後半でフシに導かれてスマコンを装備したままの彩葉が、リアルとフィクションを重ねたまま核心へ迫る移動のシーンはわくわくした。

そしてあるマンションの1室の内情を見て、口角が上がるのを感じた。
配線、雑多な装置の山、青白く発光する機械、水槽にケーブルで繋がれた巨大たけのこと、別水槽のウミウシ。

部屋の汚さ、雑然さ、淡白な恐ろしさは往年の名作「serial experiments lain」のように感じられたのだ。
あの頃の、あの薄っぺらく寒々しい機械感丸出しの表現ときたら!
あのような古臭いSFさを現代の作品に容赦なく叩き込むストロングスタイルは快感である。

筆者にしてみればボカロだ懐かしいぜキャッキャではなく、こういった明らかに90~00年代にあったSFの味の方がよほど懐かしく嬉しい。
言い方は非常に悪いが、筆者の考えだとボーカロイドは広く浸透したものの、まだまだ浅く若いと思っている。

この世に初音ミクが出てきたのは2007年。そこから国民的な存在になり、世界でも有名になった合成音声の凄まじさは語るまでもない。
だが厄介な言い方で差し挟むなら、SFはそれよりずっと昔から確固たる位置をとってきたジャンルだ。
賢く、そして厄介な気質のクリエイターが数々のSF作品を世に放ち、多くの傑物が輩出されていった。
上記のlainなど、ゲームおよびアニメは1998年という重苦しい20世紀の末期に出てきた。

かぐやが竹取物語よろしく羽衣を纏ったことで情報が上書きされて現実からロスト。
喪失に襲われた彩葉が再び動き始め、ツクヨミでフシだけに逢って後を追いかける展開。
そのとき彩葉はフシの言葉にしたがって閉じていた目を開いた。スマコンを装備し起動したままで。

本来の用途は目を閉じて仮想空間への没入感を高めるはずが、現実世界に何らかの形でハックしたフシの姿がスマコン越しに視認できる。
この状態はおそらく正常ではない。
先のサラリーマンが電車内で驚いていたように、これは何らか(月由来の高い技術力か?)の手段によって強制的に見えるよう働きかけている。

だからフシに実態はないし、見えているのは表示させられている彩葉のみ。
目は金色に光ったままマンションまで導かれる様子。
電車に乗るシーンは千と千尋を思い出したし、電車は魂の移動などでもモチーフで取り上げられる有名なもの。
リアルとネット(フィクション)の境界が曖昧になる感覚はぞくりとして、病みつきになる。
境界が曖昧になるのは冒頭のゲーミング電柱の時点で既に発生している。
視聴者は知らずに不確かな境界線上を走っているのだ。

さらに彩葉はスマコンをつけ外しする描写をはっきりつけているが、かぐやはつけっぱなしのシーンがあるのも違いか。
あれは現実にいる人間と、現実にはいない宇宙人の違いを表しているのだろうか。

嵐のようにやってきて、去ったかぐや。そしてヤチヨ

かぐやは生まれた瞬間こそ赤子だが、すぐに成長した。
劇中だと夏休み前から9月で一旦大きな区切りとなっており、後半の年単位の進行速度に比べると短いがスピーディに進行する。
月は味覚がないので初めて食べたオムライスに感動しているし、ツクヨミ上で味覚再現がないことを嘆いている。

単なるわがままかと思えば電子決済をマスターしているし、簡単に流されたが彩葉の口座情報を改ざんして金を増やせると言っていた。
どこの電脳世界にも対応できそうなハイスペックぶり。
金遣いは死ぬほど荒く掃除は苦手だが、料理は上手く真っ当な方法で金稼ぎが出来る。
プログラミングでたまごっちのようなゲームキットから犬DOGEを生成してツクヨミ内に持ち込む技術もある。

そもそもかぐやが何かで苦戦するシーンがないのだ。絵だけが下手くそでそれ以外は完璧。
わがまま姫だがコミュニケーション能力も相当高い。
人をひきつけられる力を持ったかぐやが先行し、ハッピーエンドへ彩葉を連れて行こうとする。

かぐやが楽しくも短い時間に別れを告げ、涙と共に去った後。
彩葉の元に使った分の補填としてかぐやから入金があった。
かぐやにとって、お金が重要ではない。彩葉といっしょに過ごせたことが大切だった。

彩葉も同じように思うようになった。
だから安アパートから家賃が一般家庭からすると超高額なタワマンに引っ越し、かぐやがいなくなってもずっとそこに住み続けた。
かぐやが彩葉に渡したお金。
それは彩葉がかぐやの流れ星を見たとき口走った金という願いを叶えた結果だ。

それでも、彩葉にとってもうお金などどうでもいい。
こんな大金使えないと嘆く彼女の姿は小さかった。
アパートのときに流しの下に隠れていたことを覚えているので、かぐやが去った後にキッチンの収納をただ開くだけ開いてのろのろ彷徨う姿は痛々しかった。

上記にもあるが、ループの中にいるかぐやは月に帰還した後で再びやってくる。ずっと昔の時代に。
全てはおぼろげになり、ツクヨミの管理AIとして生きる頃にはかつての心も霧のように薄く寒い。

だが彩葉が初めてツクヨミの世界に入ってきて、ヤチヨがかつての彩葉と気付いたときの衝撃。
ヤチヨカップを開くと宣言し、かぐやから勝利宣言を聞かされた時のヤチヨのあの言葉。
かつての自分を見て思い出し、近くにいる少女は自分がまた会いたいと願っていた人。

どの時点で思い出していたのか、どの程度覚えていたのかは分からない。
それでも、いつもツクヨミにログインしていることを知っているし、AI相談アプリも彩葉にだけはヤチヨ(かぐや)本人が担当していたかもしれない。

これは言われて見ればそうかと思ったが、ヤチヨは分霊体を大量に出してユーザーに話しかける行動をしたとき、彩葉たちにだけ抱きついているのだ。
その他の大勢には距離を取って節度ある対応なのに。

この行為を主人公だから起きた出来事と捉えるか、それとも覚えている会いたかった、話したかった人だから甘えていると捉えるかはそれぞれの解釈。
筆者としては、後者を選びたいところ。

ヤチヨの苗字は月見(るなみ)、ツクヨミは月と夜に関する日本神話の神。
胸元に意匠にメンダコ。メンダコはパンケーキタコと呼ばれており、かぐやはパンケーキを食べたがっていた。
彩葉の初の手料理は粉と水しかないゴミのようなパンケーキ。タワマンのキッチンにはパンケーキセット。

ラストで明かされた、ツクヨミのワールドマップはパンケーキの形(これは途中では気付けない)。
露骨なまでに匂わせはしていたのだ。色々誤認させるものをまいていたが。
知っていながらもひとりのユーザーとして扱わなくてはならなかったもどかしさ。
彼女の心境は、いかばかりのものだろうか。

パーソナルスペースに招き入れ、かつての自分を明かしたときのヤチヨの悲しげな言い方。
ヤチヨは自分をおばあちゃんと言った。
それはかぐやが彩葉へ竹取りの翁(じじい)扱いをして、80年後の世界でも見えているのかとキレながら返されたことへの意趣返し。

どのような気持ちでヤチヨは彩葉へ語ったのか。
大人な対応をするヤチヨに彩葉の心は悲しげに揺れながらも、意地を見せてこれまでを聞こうと座り込む強情さ。
ヤチヨはマップ構造をいじり、昔の安くてボロいアパートの装いにした。
ワンルームしかないゴミのような小さな部屋こそ、彼女たちの始まりの場所だったのだから。

ヤチヨカップの優勝に伴ってコラボライブをしたが、ヤチヨの目に光る涙にどれほどの意味が込められているのか。
想像に難くないだろう。
ミニライブではなかった楽しいという感情。あれは彩葉が一緒にステージで歌って踊ってくれるからハイテンションになっているのだ。
かぐやもヤチヨもアーキタイプは同じ。だからあの時間は、まさに黄金よりも貴重なひとときだった。

ちなみにヤチヨカップの優勝宣言でヤチヨがぼやいた「いとかわゆし」。
これは可愛いの語源となった言葉であり、そのまま可愛い、いとしいの意味のほかがある。
それは恥ずかしい、かわいそうで見ていられないである。

場面として適切なのは恥ずかしいという意味だろうか。
自分が自分へ向けて彩葉の迷惑を考えずに無鉄砲な挑戦をしたこと。
当時を思い出して可愛らしい思い出と共に、何と軽率な行いかと恥ずかしさを思っても不思議ではないのだ。
年を取ったせいで顔面には一切出なかったが。

また、かぐやのアバターはうさぎの意匠があり(髪が顕著)、ライバー活動しているときの彼女の瞳はうさぎが餅つきをしていた。
この配信活動は声はなく、音楽だけ流れている。海水浴のシーンで一旦区切られるが。
そしてイントロ部分の現在順位は8910位で止まった。
語呂合わせならこの数字は白兎(はくと、しろうさぎ)と読める。
日本神話の因幡の白兎。もしくは月にいるとされる月の兎の別名だったりもする。
気づきにくいところまでネタを蹴り込むあたり、相当物好きで凝り性な制作陣だと伺える。

彩葉

彩葉も努力の異常さはありながらも相当能力は高い。
生い立ちや他人に頼れず自分だけで全てを完結しようとするので、常に切羽詰まっている。
彩葉の友人の芦花と真実はそれを知っている。だからかぐやをすぐに受け入れ仲良くしていた。

理由のひとつは、間違いなく彩葉が突然いなくなったり、死を選んだりしないようかぐやをストッパーとして利用するため。
彩葉は常に良い成績を収め、他人から良く評価されないといけない強迫観念に囚われている。
他人からの頼み事、特にかぐやからのわがままのおねだりに弱い。
かぐやの願いを聞き続けて辛い現実から目を逸らさせる間、彩葉の精神は癒やされる。
だから尚更かぐやの存在が重要なのだ。

自分たちでは彩葉を救えなかった歯痒さがあるので、かぐやの存在に救われている。
ガラスの向こう側の彩葉は泣いており、常にギリギリいっぱい。

劇中喪失感で動けなくなった彼女を心配して家に行こうとしたと、2人は少し怒ったような悲しそうな顔をする。
そうできなかったのは、彼女たちが彩葉の深くまで入れていなかったから。
かぐやはそれをやすやすとこなしてしまった。

父親が亡くなった理由はわからない。
母親と不仲になった理由もわからない。
唐突に兄が設定として生えてきた。
兄がチャラそうなアバターでプロのゲーマー(ストリーマー)としてツクヨミで活動しているのを知っているから彩葉は嫌そうな顔をした。

最初はチャラそうなキャラ付けに嫌悪しているかと思ったが、なるほど実の兄がネットでああした活動をしていたら頭が痛くなるだろう。
兄も妹のことを知っているが、あまり互いに干渉しあわなかったように見えた。
彩葉の家族についての話などが足りなかったと思われる。

帝とあるように、兄の役目は竹取物語での帝である。
帝は強引にかぐや姫の顔を見ようとしたが、影に隠れたかぐや姫を見て超常的な存在と気付き、謝罪する。
強引だが謝罪して潔く退去し、その後は文でやり取りする清らかな交流をしていた。
この文のやり取りを超かぐや姫に当てはめるなら、KASSENでヤチヨカップの決着つけようぜのところ。
あそこで求婚の内容も盛り込まれていたから間違いないだろう。

その後の月の使者との戦いに帝が部下と共に戦うことも、原典と同じ。勝てないのも同様。
そもそもよく月からくる恐ろしき何かと戦う決意ができたものだ。
どちらの帝も勝ち目は薄いと知りつつも足を踏みしめて戦いに臨んだ。その姿こそ尊きものだろう。

月からきた謎の集団も竹取物語でやってきた使者のギミックとしてしかみられなかった。
データを改造され、月からのモンスターに変化させられたり、月の映像をリアル、ネット問わずハックして見せつけたり色々していたが、これも情報不足。
ヤチヨの対応から彼女は彼らの正体や目的は理解しているので、相当面倒そうに払い除けていたのはそうした背景があるからだろう。

この作品の悪いところ

上映時間は約140分。映画館で視聴したので長丁場だったし、終わりそうな終わらない展開が2、3度あったので締め方にだらつきがあると感じた。
そして長編だが構成の都合で設定だけつけて切り捨てているものも結構あるだろう。

先述の家族関係もそれに該当する。
何をもって母と対立したのか、生活のことか、夢のことかはわからない。
兄のほうが賢く生きているように描写されていたが、兄はネトゲに入り浸った挙げ句にさっさと東京へ出ていっただけなのであれが賢い生き方には見えない。
ただやりたい放題やって好きに生きているだけだ。

ストリーマーとして生活できているので外聞はどうあれ成功した部類だろう。
そのようないい加減に生きているようにしか見えない兄から、母は彩葉の反抗待ちだと告げられてもどうしようもない。
戦いの場で思案する内容ではないし、重要なら無視される可能性があってもチャットやメールでやり取りすればよかった。

だからかぐや喪失後の彩葉が母に電話して許諾してもらえたことについて、だから何だろうとしか思わなかった。
悲しいかな仕事終わりにそのまま映画館へ飛び込んで鑑賞したせいか、周りからすすり泣く音が聞こえても同調できなかった。

あれここ泣けるのか、良さげなシーンだけど泣くほどかと疑問に思いながら見ていたのだ。
眠気や疲労で彩葉とかぐや(ヤチヨ)の交流、曲の解釈、物語の理解が浅かったかもしれない。
今となっては分からない。感涙はしなかった。

それと完全な文句だが、エンディングの主題歌だからBUMP OF CHICKENのrayのカバーが流れるのは当たり前で不満はなかった。歌詞も合っているように感じた。

しかしメルトをその後デカデカと大音量かつ前面にたたき出して、ほらこれ神曲だろ泣けよみたいにするのは押し付けがましい。
良い曲だとは思う。ただそれが良いのか悪いのか、飛び越えて神扱いするかは人次第のうえに、制作側のゴリ押しでぐりぐり耳朶をうってくるのは鬱陶しい。

そういう風に扱いたいならワールドイズマインみたいに劇中のライブなどで使うべきだった。
エンディングはrayとオリジナルで作品にあったものを出してほしいところ。
ボカロ好きを狙ったのかもしれないが、あの手の出され方をしてくるからボカロ楽曲を手放しで喜べない。

ボーカロイドが悪いわけでも、曲そのものを作った人が悪いわけでもない。
全てはあの演出、構成を考えた映画制作スタッフに責任がある。
アニメ映画だからといって、当時の多感な学生連中ならこれ聞いて泣いていただろほら泣けよみたいにしないでほしい。
それで確実に楽しくてハッピーなのは作っている奴らだけ。視聴者はそうと限らないのだから。

かぐやの卒業ライブだと、歌うかぐやを背にレギュラーメンバーがそれぞれ大立ち回りするのはマクロスをオマージュしているのだろうか。動きはあるけど見づらさがあった。

音楽アニメで半分くらいはボカロの押し付け。
筆者には押し付けにしか感じられなかった。
配信、ネットアイドル、曲ならボカロでミクと連想された可能性がある。

だがボカロ曲をうわべだけなぞって聞いたような筆者には当然届かず、むしろ彩葉の作曲の経験がある設定からもっとオリジナル曲を出してほしかった。
音楽を押し出しすぎるとジャンルが変質して、SF要素が飛びかねない懸念があったのか。
それでも作曲の設定がさほどいかされた印象がない。

ハッピーシンセサイザやワールドイズマインを聞いた時、これらが出てくることを事前に知っていたにも関わらず、ここでボカロ曲は不要だから書き下ろしで勝負してこいと不満だった。
特にコラボライブのシーンはかぐやとの別離前の大一番。
安易にアレンジへ逃げたように感じてがっかりした。
映画館の音響で誤魔化そうとしても、そのような甘えが通ると思ったか。

8000年後の再会。ループの終焉

ヤチヨの隠していた歴史すら強引に受け止め、全てを知った彩葉がかぐやといることを選んだ。
このまま続けば、いずれ彩葉はかぐやを置いて死ぬ。寿命は避けられない。
そして永遠に生きることは寂しく苦しみがつきまとう。

彩葉は仮想世界での再会で終わらせたくなかった。
彼女は方方に手を借りて未来への道を切り開く。
二転三転した進路は定まり、多くの人間を巻き込んで科学者の道を選んだ。
狙いは、ヤチヨをデータの世界から現実の物質世界へ引きずり下ろすこと。
人工素体を作り、ヤチヨの意識データをそこへ移したのだ。

素体のYCでは合わなかったという発言から、ヤチヨに合わせた素体よりかぐやに合わせた方が定着しやすかったのだろう。
そして一瞬映った本物の(本当の?)人間の言葉から、素体は擬似的に成長するか劣化(老化)するように作られている。
目的は、彩葉と一緒に時の流れを過ごして一緒に死ぬこと。
10年後に達成できたあたり相当技術力の高まりがある。

仮想空間にも五感を感じられるように調整し、データのヤチヨと素体に封じられたかぐや。
どちらも同じ存在だが、未来では彩葉を取り合ったりシェアしているかもしれない。

かぐやは多くの時代、人と出会うことで物語はつくられていき、その集大成が竹取物語として誕生した。
そして劇中の世界線ではループも終わり、人らしく死ねることが示唆されている。
劇場なら27日以降に追加されたMVはYoutube上でも見られる。

この冒頭に登頂を果たし、そして彩葉とかぐやがたけのこを埋めているので場所は富士山。
頂上で埋めるのは、竹取物語で登場した不死の薬を山で焼いたところから。
たけのこは宇宙船、かぐやの不死性の象徴。
それを埋めることで否定となり、今後は死ぬことを許されるようになったことがうかがえる。

時は過ぎて朽ちゆくから美しい。
彩葉がいなくなった後ではループも何も無い。
かぐや(ヤチヨ)にとって死は幸福で素晴らしい権利なのだ。
それを与えてくれたのは、またしても彩葉だった。
言ってしまえば赤子の頃から死の権利まで彩葉によって作られている。
母、同居人、友達、結婚相手としてこれ以上ないくらい2人はお似合いなのだ。

誰が8000年の孤独を理解し、癒やし、共に生きることを選択してくれようか。
ゲーミング電柱の意味不明な出会いの時点で、お互いは幸せになる未来への第一歩だったのだ。

ループのようで、そうではない

「私といたかぐやは?」

「今もまた、同じ輪廻を巡ってる。私たちは、その輪から外れることは出来ない」

酒寄彩葉、月見ヤチヨ 「超かぐや姫!」より 秘匿された場所での会話

タイムトラベル、タイムリープなど様々な設定があるのではないかと日々予想、議論、あるいは罵倒し合う熱心な視聴者たちがいる。
筆者は先述ループと書いたが、よくあるループものとは異なっている気がする。
そのあたりの思考を巡らせている人はたくさんいるので、より詳しく知りたいなら調べてみてもよい。

劇中かぐやは電柱から生まれて育ち、月に帰った後に再び地球へ来る。
その道中で事故にあって8000年も遠くの過去へ到着し、成長(変質?)してヤチヨとなった。
よくあるループならヤチヨになった後、どこかでもう一度かぐやとして電柱から生まれたり、あるいは過去のどこかの地点からリスタートになるだろう。

プレイヤー(視聴者)の主観によるループ(Ever17)や、世界線の移動や意識だけのジャンプ(シュタインズゲート)の類と超かぐや姫が異なるのは、ヤチヨとなってからいずこかの過去へ戻らない点だろう。

かぐやは8000年の地球生活でより人間らしく(彩葉が花火大会で言った大人っぽく?)なる。
高校生の彩葉がツクヨミにログインするところまで時間を進めたとき、彩葉が会うのはヤチヨ(2巡目のかぐや)であり、電柱で拾うのはかぐや(1巡目の別個体のかぐや)である。

別個体といっても、かぐやはかぐやである。ただしそれは全く同じかぐやではない。
真に同一であるならば、パーソナルスペースで彩葉の質問に対してヤチヨの返答は不適切。
それなら「私がそうだよ。彩葉とずっとにいたかぐやだよ」という旨を話すべき。

私たちと言っている点も見逃せない。
私は~なら、かぐやはずっと同一の存在で回り続け、私たちは~ならかぐやという月の民が複数いて、それぞれ回っていることを示している。
彩葉と一緒にいたかぐやは8000年前の地球に到達したか、あるいはその道中か。
同じ輪廻を巡ってそこから外れない以上、彩葉は同じタイミングでかぐやを拾う。
そして別れて孤独な旅路の果てに違う姿になる。

イメージは同じコースをずっと走るミニ四駆よりも、1回だけ大きく後ろにぐるっとループするジェットコースターだ。
かぐやはヤチヨになるが、ヤチヨになった後は何も起きない。
そもそもこれが同じ輪廻の輪の中なら、最初の1回目だけ発生しただろう、ヤチヨのいない世界線について一切触れられていないのだ。

彩葉は彼女を理解できなかった。だから歩み寄る


何はともあれ、通常の空間ではないところで会話している2人。
そこはマップの見てくれだけツクヨミであるものの、オフラインのプライベート(ある意味パーソナル)スペースにいるのだ。

オフラインの証拠になりそうなのは、彩葉がヤチヨへのメッセージ送信を失敗したところ。
となれば、あの空間はスタンドアロンのどこかと考えるのが自然だ。
データの授受はフシ(犬DOGEの成れの果て)を使って移せばいけるのだろうか。
ヤチヨはかぐや時代と異なり肉を持てなかった。
だから彼女は電脳空間でしか自身のデータをもとにモデリングするしかなく、五感など存在しないのが当然のネット環境においてヤチヨは人ならざる何かとなる。

データに同一の寸断なき連続性がない以上、細かくいうならヤチヨは既に別人。
彩葉はヤチヨをかぐやと正しく認識できず、入り混じった状態で接している。
それが下記のセリフだ。

「全然……わかんないよ」
「ただのおとぎ話。あーんま深く考えないでー。とにかく、再会をお祝いしましょ?」
中略
「きらきらのかぐや姫は、もう、おばあちゃんです」
「かぐや。かぐやは、そんな顔、しなかったじゃん」
「いろは。もし知りたくなかったなら、忘れてもいいよ。そういうことも、フシの――」
「ヤチヨ! ……8000年、あったこと全部聞かせてよ。私、寝ないから」
「ふふっ、無茶言うねえー!」

酒寄彩葉、月見ヤチヨ 「超かぐや姫!」より

閉じた空間にきたとき、ヤチヨを見てかぐやと言った彩葉は自分の言葉に困惑していた。
この会話でも、自分の知らない時を生きてきたかぐやの表情に心の理解が追いつかず、かぐや呼びとヤチヨ呼びが混同している。

それでも孤独な旅路の話を聞こうとする、フシから隠していた残りの情報全てを死ぬ覚悟で頭に突っ込むなど彩葉はヤチヨを理解しようと歩み寄っていくのだ。
心身に負荷をかけながらもエピソードを拾っていく彩葉。

ヤチヨはスリープの時間がきたのか眠りにつき、彩葉は優しくヤチヨをなでる。
ヤチヨはずっと笑っている、私(彩葉)みたいになってしまったという言葉から、かぐやは取り繕うやり方を学んだことを見抜く。
長い時間の中で人らしく複雑で、大事なもののために我慢して。
それは彩葉のように。子が親の生き様を見て真似ていくように。

さいごに

良いところも悪いところもある。完璧なものなど無い。
オリジナル映像作品として完成度は非常に高く、あえて雑な作画にして笑いをとったり動きを重視するのは良い判断。
引っかかるのはボカロや古い人間たちの良くない部分を狙い撃ちして、感動や笑いを露骨に狙ったところ。

総じて超かぐや姫は複数回の視聴にたえうる作品だし、実際2回以上見るべきだろう。
2回目は伏せられた情報の置き方、回収の仕方を楽しめる上に、何よりヤチヨの視点で物語を追いかけられる。
Netflixで気楽に見るほうが複数回のループ視聴しやすいが、でかい音や映像を堪能するのもまた一興だろう。

音楽を重視するならより整った環境で見るべきだし、美麗なCGなども視界いっぱいに収められるのは映画館の特権といえる。
サブスク契約しているならまず視聴。していないなら期間限定上映なので映画館へ走るべきだ。
Youtube上には冒頭の映像も公開されているので、どうしても始めだけ知って判断したいならそれも悪くない。
ただしコメント欄からある程度情報が漏れ出てしまうことを覚悟したいところ。

惑星規模のスケールのある再解釈されたかぐや姫の物語。
ぜひお近くに上映館があれば巨大なスクリーンで、そうでなければお手持ちのモニターで思う存分、彼女たちのハイテンションなストーリーへ飛び込んでほしい。

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