レビュー:それいけ! アンパンマン いのちの星のドーリィは重たいテーマの良作

引用:https://www.anpanman.jp/
©やなせたかし/フレーベル館,NTV,TMS,VAP
目次

はじめに

アンパンマンはいつだって小さな子供たちのヒーローである。
特徴的なシルエットは子供が好感を覚えやすく、ストーリーもわかりやすい上に勧善懲悪ものといった、大人が安心して見せることが出来る。
今でもテレビ番組、映画どちらも制作されている超ロングラン作品の仲間のひとつである。
かくいう筆者もアンパンマンは好きだったが、時間の流れによって好みが変わっていくのは仕方ないことだろう。
やがて誰もがアンパンマンのコンテンツから別れを告げて新しいものを探しにいくものだが、中には大人の視聴にも耐えうる凄まじいものが世に放たれるのもまた自然なことだ。
映画の本作もまさに大人向けとしても見られるくらいの仕上がりであり、当時劇場に家族連れで(あるいはビデオをレンタルなどして)見た大人たちは面食らっただろう。
明らかにアンパンマンの中では異端な作品について、しばし思い出しながら書き記していく。

概要

アンパンマンは日々のパトロールの最中、海に漂う木箱の中から汚い人形を助けた。
その夜にいのちの星が人形の胸に入り込み、人形は目を開いた。彼女は綺麗なドレスを身にまとい、自らをドーリィと名乗った。
命を得たドーリィは大喜び、まさに好き勝手の極みを働いて皆を困らせてしまう。
ドーリィにとってアンパンマンは同じようにいのちの星から命をもらったというのに、彼は困っている人を助けるために働いていることが信じられないと思っている。
やがてドーリィは自分のいのちの星の炎が弱まっていることに気づいて不安になる。
ばいきんまんは新型ロボット・スーパーカビダンダンを完成させて街を襲う。
アンパンマンたちは応戦するものの、仲間たちは次々とやられていく。
そしてドーリィを守るためにアンパンマンは体を張って攻撃を受け止め、いのちの星が体から消えてしまった。
ドーリィはこの時に彼の優しさと勇気に触れ、何故人を助けるのかを理解する。
立ち上がった彼女の炎は大きく輝く。
しかし、このままではばいきんまんによって何もかもが終わってしまう。
ドーリィは自ら胸の中にあるいのちの星をアンパンマンに捧げた。
大切ないのちの星を、命そのものを譲り受けたアンパンマンは蘇生し、ばいきんまんとの最後の決戦にのぞむ。

重たすぎるストーリー

視聴中、視聴後どちらも思ったのがこれは本当に幼児向けかということ。
圧倒的すぎるシリアスさで舗装されるストーリーラインは見応え以上に難解さが目立つ。
大人にとってはよくある展開だし、それぞれの人生を送る中で培った経験で理解ができる。
しかし、子供にとっては噛み砕いて見せようとしても、容易ではない。
自らが得た命の意味はどこにあるか。何のために生きて、何に価値を求めるのか。
大人ですら真剣に考えないといけないテーマを真っ向勝負で描いているのだ。
これがシリアスでなければ何だと言うのだ。
ドーリィの身勝手さは本人のこれまでの経歴を知らなければ理解しがたく、事実クリームパンダなどからは単にわがままな奴という認識になっている。
確かに自分の辛いところを他人へさらけ出すのは必須ではないので誤解されるのは仕方ないところである。
実際、ドーリィは終盤まで自分のことばかり考えて動いているので勝手気ままなのだ。
学校で迷惑がられていようがお構い無し。
全体の和をいくら乱したとしても、彼女自身が思う好きなことをして生きていくという目的に沿っているから、これを改める必要性がないと感じているのだろう。

現実世界において、ドーリィのような生き方を選択する人間はいる。
したがって、彼女の行動指針は決してフィクションでしかあり得ないなどと切り捨てれられない。
また、こうした勝手な行動をとるのも頷ける背景があるからとも考えられる。
ドーリィの酷い過去、命を得て自分の意志で全て行動できるようになってまだ間もない点を考慮せずに、ただドーリィは自分勝手な嫌な奴と決めるのは早計だ。
そしてこうした判断によって、彼女は住人たちから迷惑がられている。

とはいえ、ドーリィがどこの生まれでどう生きてきたかなど誰も知らなくて当然なのだ。
彼らからすれば見ず知らずの子がいきなり現れて好き勝手振る舞っているだけ。
ドーリィも自分のことを話して、他人とコミュニケーションを十分に取ろうという歩み寄りはしていない。
単純に交流が足りないのだ。だからこそ誤解や軋轢が溜まって溝が深くなっていく。
この問題は双方に起因しているので一概にどちらかが駄目かとは言えない。
強いて言うなら、端から邪険に扱われることはなかったので責の重さは若干ドーリィ寄りではある。
衝突や失敗を糧にして成長と修正を繰り返していくのが人生のひとつの要素だ。
こうした経験すら出来なかった人形時代を思えば、ドーリィにとってまさに素敵な世界。
生きることに喜びを感じてはしゃぐ彼女へ共感することは、そう難しくない。

命の価値とは

かつて雑に扱われた挙げ句に海へ捨てられたドーリィ。
いのちの星によってひとつの生命体として進化した彼女にとって、命の価値、使い道は自分のために使うことが最も大事である。
だからドーリィにしてみればアンパンマンのような他人のために生きる人々のことが信じられない。
嫌いな野菜は残すし、面白くないことはやらない。友達が出来ず馴染めなくても改めない。
また、学校の合唱の時間ではアンパマンのマーチそのものに喧嘩を売る始末。
何のために生まれて何をして生きるのか。
子供向けとは思えない重たい歌詞を変な歌と切り捨てて、自分のために生きればそれでいいだろうと発したドーリィに皆は迷惑だと感じていた。

アンパンマンの世界の住民は基本的に善人が大半なので、協調性に欠けるドーリィの考え方や発言に反対意見が出るものの、ドーリィの自分のために生きるという意見は、これはこれで大事な考え方である。
人間は社会生活が重要視される生活を送っている以上、どうしても周囲のために自らの行動を歪められてしまう瞬間がいくつも起きている。
それ自体は何十億と生きる人々の、膨大な数の余波というべきだろうか。とにかくどうしようもない時がある。
しかし周りの意見だけを尊べば、やがてその反動は自分へ返ってくる。
自己実現の否定に繋がりかねないほどの大きく危険なうねりがやってきたとき、繊細な人ほど受け止めづらい結果になる。
したがって、自分自身の精神衛生を健康に保つためにドーリィのような考えをある程度取り入れるのは必要だと筆者は考えている。
そういった表現に困るような曖昧な境界線を雑に表現してバランスをとる、とするのはやや乱暴で逃げた印象がある言葉だろうか。

ドーリィだけが未熟ではない。アンパンマンをはじめ学校の子供たちもまだ未熟だ。
そういった不安定なものを認識して生きているキャラクタ-としてドーリィが出会ったのはロールパンナだ。
善悪ふたつの心を持つロールパンナはアンパンマンの世界ではかなり珍しい立ち位置にいると思われる。
そしてそのような複雑な心を持つからこそ、ドーリィの困っている人を助けるために生きているアンパンマンはおかしいという疑問へ回答できる唯一性があるのだ。
ロールパンナは完全な善にも悪にもなれないのでアンパンマンと同じ生き方はできない。
彼にはできて自分にはできないと返す彼女の苦悩が垣間見えるシーンは、人はそこまで単純にはできていないと伝えている。
だからこそドーリィはロールパンナに悩みを打ち明けられたのかもしれない。

アンパンマンの衝撃的な敗北

アンパンマンは最終的にはばいきんまんをアンパンチでぶっ飛ばして勝つ。
勝つまでは毎回苦戦してピンチになり、顔を交換してパワーを取り戻して仕切り直しという形をとる。
しかし、いのちの星のドーリィではそのパターンに少しだけ待ったがかかった。
ばいきんまんのメカによってピンチとなるのはいつものお約束だが、この戦いでアンパンマンにとって大事なものを失ってしまった。
それはアンパンマンに溶け込んでいたいのちの星である。
スーパーカビダンダンの攻撃からドーリィを守るため我が身を盾にしのいだアンパンマン。
その代償があまりにも大きく、全身がカビの攻撃によって深刻なダメージを受けてしまい、何と死亡してしまう。

アンパンマンが死にそうになるピンチはこれまでもあっただろうが、描写できっちりと死んだことを表した本作は衝撃的な展開だったのは言うまでもない。
いのちの星が消えてしまった以上、顔をいくら変えようとアンパンマンはパワーを取り戻すどころか生命活動を再開すらしないのだ。
眼の前で死ぬ瞬間を見てしまったドーリィの心が、ここでようやく変化した。
自分のせいで攻撃を受け続け、そのまま死んでしまったアンパンマン。
わがままを言うばかりで周囲を困らせていた自覚はあるドーリィへ、アンパンマンは詰りも批判もせずに微笑んで死んだ。

ここで再びアンパンマンのマーチを思い出す。
何のために生まれて、何をして生きるか。
背中で、行動で粘り強く伝えたことは決して無駄ではなかった。
ドーリィはためらうことなく胸のいのちの星をアンパンマンに捧げる。
このクライマックスシーンにいたるまでの間、彼女のわがままぶりが出てくるだけではなく、恐怖も描かれていた。
ひどい目にあって海へ捨てられた、ただの人形だった過去から解放されるようにはしゃぎ回る彼女は、物語が進むにつれていのちの星の輝きが陰っていることに恐れを抱くのだ。
星祭りで街が明るく楽しげな雰囲気になるのとは対照的に、ひとり背を向けていのちの星の小ささを確認するドーリィの姿は暗く淋しげなもの。
いのちの星が尽きてしまえば人形に戻ってしまう。
自分の命が潰えてしまえば、何もかも自由な日々は終わってしまう。
一度ばいきんまん達に連れ去られた彼女はひと騒ぎを起こした後は海で、ばいきんまんのバイキンUFOの残骸の上に取り残された。
自由になったはずが気づけば同じような感じで海に捨てられている。
これでは一体何のために生きているかと自身に問うドーリィは、死の恐怖におびえていた。
死にたくない。生きていたいと願う彼女がそれでもアンパンマンに自らの命そのものを捧げた。
その輝きによって蘇生したアンパンマンが一切の口上もなく最終決戦に挑む姿は、シリーズでも屈指のシリアスな展開だろう。

全ての敵を倒して住民は解放された。
しかし、いのちの星を捧げたドーリィはただの人形に戻っている。目を覚ますことはない。
誰もが彼女の献身に涙するのだった。
このラストシーンは実際に映像を見て感動してもらいたい。

さいごに

明らかに幼児向けじゃないだろうと突っ込みたくなる「いのちの星のドーリィ」だが、その分大人が楽しめるラインへ引き上げられていると感じた。
また大人ではなくてもある程度成長期を迎えた多感な時期の子供にとって、良い教育になるだろう。
勝手気ままなことへの見返り、命の意味や価値、その使い方を学ぶことは一生物の課題である。
それぞれが考えて実践し、最後の最後で全てを振り返って自分で評価しれやればよいのだ。
感動的な話にするためにドーリィの献身(あるいは自己犠牲)があったと見ることもできる。
何もドーリィのように他人へ命全てををかけて助けろ、手伝えということでは決してない。
まずは自分を大切にするべきであり、生きていく中で自分だけの答えを悩んで決めるべきなのだ。
そういった自分を見つめ直す良いきっかけを与えてくれる映画だったと、筆者は思っている。
こちらの映画も複数の配信サイトで配信・レンタルがされている。
ただの児童向けと侮らず、一度見てみてはいかがだろうか。



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