レビュー:3人の愛についての物語、フタコイ オルタナティブ

引用:https://king-cr.jp/special/hutakoi/ufo/index.html
©双葉ひな、ささきむつみ、アスキー・メディアワークス/フタコイプロジェクト
目次

概要

下町、二子魂川の一角にある古びた私立探偵事務所。
かつてそこを本拠としていた男は何年も前に死に、今は息子の双葉恋太郎が後を継いでいる。
先代である父と比べて、どうにも腕のない恋太郎はいつもフラフラした生き方を送っている。
そのようないい加減な恋太郎の下には謎多い双子の少女、白鐘姉妹がいた。
ある時からふらりと現れた少女たちは、いつの間にか恋太郎と同居生活を送るようになる。
三人でぱっとしない半端な探偵生活を過ごす毎日。
いつまでも続くかのように思われた日常は、かつて二子魂川を襲った組織の怪物が再びやってくるのと同時に、決定的な終わりを迎えようとしていた。

双恋とフタコイ

「双恋」と「フタコイオルタナティブ」は、ストーリーや設定の繋がりは一切ないので注意したい。


始めに、フタコイオルタナティブ(以下フタコイ)は元々「電撃G’s magazine」に連載されたオリジナル作品のアニメーション企画のひとつである。
ただし雑誌に連載されていた、いわゆる原作に近いものである第1作目の「双恋」と異なり、第2作目の「フタコイ」は別物だ。
双恋、フタコイどちらもアニメとゲームの両方が制作されていて、より原作そのものを楽しみたいなら双恋のゲーム版が良いとされている。
筆者は執筆時点で双恋の方はアニメ・ゲームどちらも手を付けておらず、反面フタコイの方はアニメ・ゲームどちらも視聴(クリア)済みである。
ややこしいことに、フタコイのゲーム版はアニメとさらに設定が違っているので繋がりがない。
フタコイの時点で大本の双恋の一部要素に対して選択と集中をしたというのに、ゲームはそこからもう一度攻略ヒロインを広げたせいで一部おかしなことになっている(ゲーム故に仕方ないとはいえ)。
あれはもう修正の仕様がないので整合性のない何か違うものとして評価を下すしかない。
ゲーム内容が気になる人は購入しても良いかもしれないが、いかんせん古いゲーム故にプレイ環境はもとより、遊べるクオリティか否かは断定できないことを予め告げておきたい。

さて、上記の原作と異なる要素についてだが、原作(双恋)は読者参加型の企画ものだったので当然全てのヒロインに対して読者がアクションを起こすことが可能だった。
そこからアニメ化された双恋は1クールでまとまりを出すために、全6組いる双子の姉妹の内の1組に焦点を当てることにしたのだ。
このときのメインヒロインとなった桜月姉妹はフタコイにも登場し、一応第3話でメインキャラクターとして、12話では別のキャラと共に頼れる援軍枠として再登場した。
フタコイのメインヒロインは双恋アニメ版だとあまり登場の機会がなかった白鐘姉妹に変更されている。
そして、フタコイの主人公は大人の男性に変更された。
加えて、中身はどうしようもない中途半端なダメ男になっているのが特徴だろう。
ヒロインである白鐘沙羅、白鐘双樹からも酷評されるほどのダメっぷり。
そもそも町の連中からも半端なやつとして扱われている。
ちなみに割と姉妹から恋太郎への評価はベタ惚れだけどゴミカスな模様。プラスの比重が凄まじくて良かったな。
そもそも恋太郎を変な名前としているところからして、姉妹だけじゃなくて町の連中もそう思っている可能性がある。
しかしそもそも名付け親は恋太郎の父の愛之助。恋太郎が駄目なら愛之助も変な名前だろう。
おまけに漫画版はアニメ以上にボロクソ言っている。一層ダメな人間として見なされているのだ。

「お人好しで、生活能力なくて、ヘビースモーカーで、大学中退で、変な名前だし」
「貧乏で、フラフラしてるけど」
「でも、やるときはやる人」

白鐘沙羅、白鐘双樹 第1話「コロッケとヘリと地下ボクシングと私」より

放送当時の話

実はこのアニメは、放送時と配信・映像ソフトでエピソードの順番が異なっている。
元々第3話はかつて白鐘姉妹のように同居生活を送っていたが、恋太郎が動けなかったために全てが終わり、どうしようもなくなってしまった桃衣姉妹の苦い思い出が登場する「エメラルドマウンテンハイ」だった。
これがどうしてDVD化に際して3話から5話へ回され、回された分4話と5話がそのまま1話分繰り上げになったのか定かではない。
繰り下げられた「エメラルドマウンテンハイ」も、繰り上げられた元第5話の「7DAYZ …And HappyDayz」のどちらもシリアス回である。
どちらの話も3人の関係が不安定で、大切なものだと認識できるだろう。
いや、そもそもフタコイは全編通してのどかで優しく、重たく苦しく、意味不明なまでにハイテンションな物語だ。
古典的なラブコメで描かれず、単なるハーレムものに作られていない。
手堅いというべきなのか、不思議な気持ちで視聴していたことは、今でも忘れられない。

オープニングは制作会社お得意の詐欺アニメーションで、一切物語と関係ない。
エンディングはクレイアニメでエンディングテーマと相まってとても静かな優しく、物悲しさに包まれながら見られる。
ちなみに筆者がとても気に入っていたのはエンディングとその後に続く次回予告である。
次回予告は最後のタイトルコールのみ喋り、エンディング以上にノスタルジックな曲調だ。
色彩はグレースケールでまとめられている。
沙羅が町を歩き、ポラロイドカメラで撮影するところから次回予告が始まる。
このとき古い映画のように映像が切り替わっていく。一時停止して注視してみると、指示書きのようなコメントも表示される(演出の一環)。
次回のエピソードを断片的に見せて、最後にカメラから出てきた写真が現像していき、恋太郎と白鐘姉妹の3人の写真が見えてきて終わる。
当時の深夜放送はほぼこれで枠いっぱいだった気がする。
途中からタイトルが書かれた1枚絵と緊迫感のあるBGMがわずかに流されて完全に終了。
CMを挟んで次の放送枠……となっていたが、当時のフタコイの放送時間は記憶が曖昧で不確かだが2時~3時のラインだった。
放送が終わると4時になることはなかったはずだが、相当後ろでやっていたことは間違いない。
そう思って軽く調べてみたところ、およその記憶通りの時間に放送されていた。
この程度で虚偽をする価値もないのでまあ大体真実だろう。
第2話の終了時の一枚絵は「これで放送は終わりです。お休みなさい」というような文章が書かれていた。
あれには驚いたものだ。後にも先にもお休みなさいなどと書かれたエンドカードは見たことがない。
そもそもこのエンドカード、一切キャラクターは出ない。ただ背景の1枚絵だった。
あれは証明のしようもないが、当時リアルタイムで見ていた人か、録画していた人は覚えているかもしれない。

それと、CMの前後に挟まれるアイキャッチはクレイアニメの人形をどこかの地に置いて撮影したもの。
そのときの劇伴は何パターンか用意されている細かさ。今では見られないものばかりである。

責任を持てない(持たない)青年

テーマが青年から大人への成長を描いているから、当然主人公である恋太郎は成長・変化をしなくてはいけない。
完璧超人ではいけないし、昨今よくあるような何者かによって突如もたらされる強大な力を振りかざして都合の良い状況にするといった、あまりにも粗雑で無意味なストーリー構成とは一切無縁だ。
そのせいで視聴時の評価はぶれやすい。主に恋太郎の態度や行動の未熟さについて分かれる。

恋太郎は中盤の怪物による襲撃が起きる第11話まで、相当にいい加減な生活をしていた。
そもそも母親を早くに亡くし、父は町の住人から慕われるヒーローみたいな人間。
大学生半ばで父が交通事故であっさり死んでしまい、親戚との付き合いもほぼ無い恋太郎はニコタマの一角で半分死んだような生き方をしていた。
このときの葬儀は恋太郎は出席しておらず、おそらく愛之助の世話になっていた住人たちが恋太郎の行いを陰口で避難していた。
そして、よくある話なら父親が死に、父親のあとを継ぐべくして大学を去ったというものだが、恋太郎はそうじゃなかった。
嫌気がさしたというか、何とも言えない表情で仲間たちのもとから去ったのだ。
記憶が間違っていなければこのときの友人2人にはこれ以降あっていないはず。
遠くのベンチでイチャついていたバカップルたちは10話で再登場し、2年前恋太郎がサッカーボールで彼氏をぶちのめした時のように、バイトで着用していたクマの着ぐるみのままで彼氏をぶちのめした。

友達から離れていく時の恋太郎の独白から2002年の冬に大学を中退しているのは確定事項。
第1話で若頭が3周忌と話し、第10話では恋太郎の2周年パーティーが開かれたことから、物語は2004年に発生していると見るべきだ。
放送年は2005年の春なので現実世界と近く、超科学的な要素はいくつか出てきたが、むしろ物語全体で考えると浮いていた印象が残った。

大学を中退した恋太郎が白鐘姉妹からの最初の事件を請け負って完遂した(第7話)結果、白鐘姉妹は恋太郎を選んだ。
そこから2年もの間、彼らは3人で苦楽を共にし、家族とも恋人とも、ましてや友人とも違う奇妙な関係性のままで生きていた。
その歪みは静かに蓄積していく。恋太郎は姉妹が何らかの事情を抱えていることを2年前から見抜いていたが、彼女たちの内情に足を踏み入れられなかった。
沙羅・双樹の2人はいつかくる自分の誕生日を恐れていた。
このぬるい日常を送るひとつの最終手段として選んだのは、いわゆる既成事実の構築。
先んじて恋太郎と肉体的関係になることである事実から逃避しようと目論んだが、当の恋太郎は彼女たちを抱けなかった。
何も不能だったとか、性的魅力に欠けていたわけではない。
恋太郎が最も恐れたのは、関係の破壊による再構成、責任の有無。
最初の依頼を通して私立探偵になる意思を示した。だが、そこまでだった。
自分の生き方すらまともに見えていない恋太郎に、沙羅と双樹の未来を背負い切れる自信がなかった。
貯金も年金もなく、夢や目標などない。
雑な依頼、雑な報酬、いい加減で刹那的な暮らしぶりが回り回って恋太郎へかえってきただけなのだ。

果たして肉体関係を結べず、そういう行為に及ぼうとしたことで3人のこれまでがぶち壊しとなった。
沙羅は片割れの双樹のことを思い、単身で許嫁の元へ向かう。
それで恋太郎が奮起するかと思えばそうでもなく、双樹と寂しさを紛らわせようと色々から騒ぎするものの失敗。
ヤケになった(ように感じられた)双樹がラブホへ誘うも、ここでも恋太郎は動けず。
3人は1人きりになって、各々涙で頬を濡らした。
恋太郎の覚悟の足りなさはリアルに現れていた。
性欲で何もかもを捨てて動かず、理性と安く小さなプライドで見栄を張って近くの大切な人を傷つける。
そして自分がいなくなればと大した自惚れっぷりを周囲へ見せつけるのだ。これは朱雀湯の婆さんに怒られている。
姉妹の許嫁の三ツ木の配下である霜島から将来への青写真を訊ねられた際、恋太郎は言い返すことが一切できずに目が周囲へぐるぐると泳いだ。
大人としての覚悟の違い、生活基盤をはじめとする何もかもの差を痛感した恋太郎は返答に窮し、完敗した。
そして度重なる失態で双樹すら失いかける寸前になって、ようやく己の小ささ、駄目さを叱咤された恋太郎が前へ成長するべく動き出したのだ。

成長、認知

シリアス大半、ギャグそれなりで綴られた物語もついに11話で熱い展開を出していく。
連れ去られた沙羅を奪い返すべく、ドイツへ複葉機で向かう恋太郎と双樹。
ドイツで大立ち回りをする彼ら。
明らかに恋太郎達より後から出発しただろうに、どうやって間に合ったか全く分からない援軍。
今更ながら、この作品はパロディがかなり盛り込まれていて、明らかに他作品とわかるものも多い。
犬探しで出てきたネズミは露骨な「ガンバの冒険」、最後の舞台となるドイツの古城は「ルパン三世 カリオストロの城」。敵の覆面は「ふしぎの海のナディア」だろう。
双子を要素にしているせいで城も双子のようなデザインに。これ城のどっち側がメインだ?
そうしたパロネタが多いのを嫌う人には合わないかもしれない。
擁護するなら、ガワだけパクっている程度だから中身はさすがに違う。
違うというより、意味不明な展開が交じるせいでどう評価すればいいかわからないのが正直なところ。

何の説明もないが恋太郎の身体スペックは愛之助譲りであり、愛之助は生身で仮面ライダー級の実力。
その息子だからハイスペックになっている。説明は全くこれっぽっちもない。漫画版も同様。
一応中学時代は不良。高校はボクシング。不良時代はチームの総長と昔のアニメあるあるな詰め物。
ゲーム版はボクシングやっていたからと怪人相手にブランクを感じさせない徒手空拳で対抗したり、謎の気功弾を放てる。
さて、アニメ版の最終回ではかつて愛之助が見せた探偵キックをまだ未熟ながら再現して決着となった。
恋太郎が空中戦をする前に双樹が(恋太郎もそうだが)どこで学んだか分からない飛行機の操縦ぶりを見せる。
崩壊していく教会内部でクランクを回すときの鬼気迫る表情を、普段絶対にしなかった双樹がここぞとばかりに出すので、事態の緊迫感や熱さの感情移入を促していた。

ここで突っ込みたい点があり、実はこのクランクでエンジン始動を行う作業は相当な労力がいるのだ。
スタジオジブリ制作の「紅の豚」においてエンジン始動のシーンは2回登場するが、どちらも男性の主人公が力強く回していた。
非力な少女の双樹ではどうしても時間がかかるのは当然だが、ここで飛行機の設定にコフマン・エンジンスターター(ショットガン・スターター)を採用しなかったのは何故かと思った。
単にショットガンの弾薬を見せてしまうとショットガンを撃ち込んでスタートするのかと誤解されるおそれがあったのか、そもそもニコタマからの出発で使った上に予備がなかったのか。
そしてどうやって狭い教会内でターンして離陸、恋太郎たちと共に空戦を仕掛けられたのかはわからない。
巨大な空中要塞(?)から放たれたミサイルを避けるシーンはアニメ好きなら一度は聞いたことのある板野サーカスの演出が挿入された。
劇伴と合わせて熱血を押し出し、必殺技を決めて爆散。
大体ここまでで最終回の半分程度の尺を使っている。
意外とあっさりした決着になったのは、空中要塞を破壊するということがさして重要じゃないから流したと考えるべきだろう。

ひとまずの危機は去った。残るは精神的な決着。
ドイツでの大立ち回りから3週間後、ニコタマへ帰還した恋太郎達。
しかし当然、領空侵犯をはじめ様々な違法行為を働いたので3人とも無事にドイツで逮捕、牢獄送りとなっている。
彼らを釈放したのは第1話から敵組織と戦い暗躍していた雛菊姉妹(あるいは彼女たちの組織)。
全ては明かされず、皆それぞれの日常へ帰っていった。わずかに成長しつつ。
取り戻した日常の光景。安らかに眠る白鐘姉妹を眺めつつ、ついに恋太郎の最後の成長のシーンとなる。
それは白を基調にしたスーツを纏う松田優作がモチーフとなっているキャラクター、恋太郎の父愛之助からの卒業(別離)である。

幼少期、誰も彼もが愛之助の息子としてしか見ず、恋太郎は屈折した思いを持っていた。
遠くで見つめる恋太郎に近づき、微笑む愛之助。
子供、学生、青年と今の姿に変化していく恋太郎は、愛之助から差し出された手を黙って見る。
おずおずと、それでもしっかりと握手を交わした。
恋太郎が視線を上げると、そこには最初で最後の愛之助の表情がはっきりと描かれている。
穏やかな顔で、口角を上げて優しげな表情を見せる愛之助と、ホワイトアウトする画面。
恋太郎もどこか晴れやかに笑い、光が全てを包んでいく。
誰よりも苦手意識を持っていて、誰よりも好きで、憧れていた父。
2人はこの握手と微笑みをもって和解し、恋太郎はようやく長年のコンプレックスから解放された。
これをもって恋太郎はひとりの大人として新しい第一歩を踏み、沙羅と双樹の3人でまた生活を送っていく。
すれ違い、衝突、別れを経て再びひとつの関係に戻れた彼らは、その後も奇妙な事件やどうでもいい日常の騒動に巻き込まれつつ、ニコタマの一角で探偵家業に勤しむのだった。

さいごに

アニメ後の話はメディアワークス、角川書店が発行した「フタコイオルタナティブG」に収録されている。
そこにはアニメシナリオの全話の脚本と、当時連載されていた小説の加筆修正版が記されている。
小説の内容は伏せておくが、彼ららしい雑さと丁寧さ(?)の日常であり、アニメ本編が気に入ったのなら読んでもさほど違和感がないだろう。脚本をのぞいて当時を振り返ってみるのもよい。
決して奇跡らしい奇跡ともいえず、事件が終わったからといって特別な関係や力が生まれたわけでもない。
3人でいることの尊さ、難しさを再認識したというのだろうか、事件が起きなければ彼らは成長できずに桃衣姉妹の時と同じ結末を迎えていたのは想像に難くない。
ラストシーンで桜舞う夕暮れの土手道を3人で歩く、そこに言葉はいらない。
何ときれいな終わり方だろう。いいじゃないか、美しいエンディングならそれで。

エンディングテーマのぼくらの時間について、実は複数パターンが流れた。
1~7話までが1題目、8話以降が2題目。10話と最終話はそれぞれ別の特別なバージョンという気合の入りぶり。
これらはサントラに全収録されているので、ぜひ違いを楽しんでほしい。
またクレイアニメも上記の変化と同じ分だけ用意されている。気合入れすぎなくらい豪華なつくりだ。

ひとつの愛についての物語を知りたくなったのなら、彼らの日々を覗いてみてはいかがだろうか。


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