レビュー:空に響かす幸福の和音、ソ・ラ・ノ・ヲ・ト

引用:https://www.sorawoto.com/
©Paradores・Aniplex/第1121小隊
目次

概要

遠い未来、戦争によって大地は荒廃し、何もかもが現実と異なってしまった世界。
空深カナタは幼少期に廃墟で迷子になっていたところを、名も知らぬ女性兵士に助けられる。
軍人になればトランペットが吹けると誤解したカナタは成長し、そのまま入隊。
トロワ州セーズの街のヘルベチア共和国陸軍第1121小隊に配属された。
ヘルベチア共和国と正統ローマ帝国との戦争が暫定的な休戦となって半年、カナタが赴任した日はちょうど水かけ祭りの日だった。寄り道をしたカナタは祭りに巻き込まれ、上司かつ音楽の師匠である和宮リオと出会う。
1121小隊はどこか規律が緩いのにも仕方ないところがある。
戦略的に意味のないような辺境の砦と街に誰が攻め込んでくるのかという話だ。
駐留するのは1121小隊の5人しかいない上に、保有戦力は破損して戦力にもならないガラクタのような多脚戦車が一両のみ。
カナタは下手な演奏を練習しながら、仲間や住民たちに囲まれて平穏な日々を送る。
しかし、水面下では両国の関係悪化、戦争を引き起こそうとする何者かの暗躍が起きていたのだ。
やがて明かされる様々な真実を知り、カナタはとある決心をする。

日常系とシリアス系

この作品は音楽と戦争、大戦後の荒れた世界が舞台である。
海が枯れて魚は全くいない。海洋生物はいないので伝承などが残るばかり。
舞台となるのは辺境ののどかな砦のある街。人口も少なめでいかにも歴史だけある古臭い場所という印象が目立っている。
ちなみにモデルは実在しており、街はスペインのクエンカという城塞都市で、ユネスコ世界遺産に登録されている有名な観光地だ。
さらにカナタたちが守備兵として詰めつつ寝起きする時告げ砦は、同じくクエンカの中にあるアラルコンという要塞。どうやら改装してホテルとなっていて、宿泊が可能とのこと。

さて、音楽を演奏できるからと思い込んで入隊したカナタだが、果たしてそのようなお花畑でよく基礎訓練課程をクリアできたものかと思ってしまった。
リアルなところなら軍楽隊の一員を目指そうとするだろうが、必要な訓練は受ける必要があるのでその時に気づくはずではないのか。
あるいは訓練しているときでも、これをクリアしたらトランペットが吹けるという願望だけで耐えていたのか。
真相は不明である。
登場する国は2つで、カナタたちは共和国側。
半年も休戦が続いていることから街は平穏なムードに包まれており、どこか緩んでいる。
ただし緩んでいるのは1121小隊も同様だった。
戦略的に価値のない場所だからといい加減な人員配置、使えもしないガラクタ戦車ひとつだけ。
それでも問題ないだろうと判断できるほど浮かれている状況になっていた。
街の買い出しでも拳銃などの武装をせずに移動をするのは軍人らしからぬ行為だ。
破損していても戦車の操縦訓練はやっていた。
視聴当時、序盤は使えないものを義務で訓練しているだけだと思っていたが、予想に反し物語が進むにつれて修理作業が進んで第11話には完了、実戦投入できるように仕上がった。
この修理をメインに据えた回である第4話では、修理に必要な部品をカナタの特殊な才能によって何とかなった。
焦点にあてられたのは光学センサーのレンズをつくるヒントは音の響きだったのは目新しさがあった。
平和な物語とは言えども、所々で挟むシリアスな劇伴とセリフ、設定が物語を大きく脱線させずに締めてくれる。
緩さと締め付けのバランスは良好な部類。
シリアスを序盤から混ぜていったおかげで終盤への重苦しいシーンへ流れるように繋がっていった。

奏でる音

この物語で重要なものは音楽である。
そして何度も流れるアメイジング・グレイスは特にモチーフとして重用されている。
カナタが道を決めた最初の音であり、最終回でもこの曲が最終的な決め手となったほどだ。
1121小隊が保有するタケミカヅチもこの音を流す。
最終回、ついに休戦は破られ平原で両軍進軍。もはや誰にも止めらない負の連鎖が始まってしまう瀬戸際。
何とか間に合った1121小隊、カナタはハッチから身を乗り出し停戦信号のラッパを吹くものの、両軍ともに止まらない。
それが偽計である可能性、ここまで来てしまった以上、相手が止まる保証がないならもうやるしかないといった狂気に飲まれかけている指揮官たちに届かなかったのだ。
これまでか、そう思ったフィリシアが後ろを見ると、カナタは完全に外へ飛び出していた。
彼女たちが陣取った廃ビルの天辺は、ちょうど両者がぶつかる境界線の位置。
夜明け前の薄暗い、どこか諦観すら漂う中でカナタが願いを込めて吹いたのは、かつて自分を救い、道を決めたきっかけのアメイジング・グレイス。
今は亡きイリア・アルカディアから託された音がついに最後の一手となったのだ。
アメイジング・グレイスは神をたたえる讃美歌であって、この物語では特定の宗教や神が重要視されているところはない(しかし宗教そのものはある。いつの時代も人には信仰する何かが必要なのだろう)。
だから特定の神をたたえるというより、この曲が歌われる平和や希望のメッセージ性や反戦のイメージで本作は採用したのだろう。
登っていく朝日は新しい世界の始まりを表した。
トランペットの美しい音色から流れるこの曲は、しばし全ての軍人の心を癒やし、動きを止めた。
はっと気づいた指揮官が再度攻撃開始を命令するも、そこに帝国との婚姻を果たしたリオが講和の証書と共に登場した。
これで軍人たちは戦わなくて良いことが確定して双方銃を収め、平和がまたやってきたことを喜びあった。

そして月日が流れ、新しい隊員が来るかと思われたが、来たのはリオ。
褒美として再び1121小隊の一員として生きる権利を得て帰ってきたのだ。
それを喜ぶ仲間たち、おかえりと言ったフィリシアが空を見上げて終わった。
戦いを終わらせるのは、タケミカヅチのような超兵器でも、誰かが作って惨劇を生み出した生物兵器でもない。
平和を願う気持ちと行動、何より誰かから託された音だったのだ。

巨大なクモの力

戦車といっても現実ではあり得ない多脚型戦車である。
主力戦車は4脚で、カナタたちが乗ったタケミカヅチは6脚。
タケミカヅチは旧世代の技術の遺物、今では失われたオーバーテクノロジーの塊であり、作中では10両と現存していないような描写だった。
回想では大量のタケミカヅチタイプが戦闘を行っていて、旧時代を滅ぼした敵(正体不明)との激闘があったらしい。真相はわからない。
大戦用の兵器なので搭載兵器は一般的な支給車両とは隔絶した性能を誇っている。
垂直の崖を楽に登攀する走破性、多数の砲弾、至近弾を受けても操縦に一切の支障がない強固な装甲、超重量からは想像できないジャンプ、自重軽減システムやバリアシステムなどで安全に着地できる。
どう考えても現代感覚なら架空戦記もの特有の超兵器である。
世界観で見ると航空機や無線などが衰退、技術レベルが後退して生活・文化の水準すらかなり落ちているにも関わらずだ。
住民生活が20世紀前半(1901~1950)程度とするなら、それは第一次世界大戦、世界恐慌、第2次世界大戦(太平洋戦争を含む)が現実世界で起きていた時代だ。
劇中でも暮らしは古臭さがあったものの、そこまでとは思わなかったほどだ。
時告げ砦でも石油ランタンと七輪があったところから推察するべきだったか。
最終回で語られた炎の乙女の伝承で乙女たちはクモの力を借りたとあった。
実際タケミカヅチのオーバースペックで敵陣を単騎突破する、まさに恐るべき一騎駆けをこなしてみせたのだから驚異的なもの。

最後の大きな見せ場で味方の後方側面から飛び出して一気に通り過ぎる際、所属部隊の番号が遠くからでも読めたこと、重症のケガ人を収容して1人欠けた状態の戦闘かつ実戦経験があるのは隊長のフィリシア1人だけという有り様だったにも関わらず、誰ひとりケガのひとつもなく元気だった。
いくら直せないガラクタだったから半ば放棄されていたとはいえ、あまりにもとんでもない技術の粋をそのままにするのはどうかと思う。
資金力の問題ではないのは劇中の修理風景から見て明らかだ。
タカミカヅチが蘇り、カナタたちの決意のもとに再び戦闘機動をするシーンは鳥肌がたった。
何語か分からない歌詞つきの劇伴をたずさえ、たった1両で全てを敵に回してでも希望に賭けて疾駆する姿。
平原で味方に識別されているとき、傷だらけの姿でも力強く走り抜ける頼もしさはロボットものの熱くなれるポイントをがっちりと押さえていて好感が持てた。

この作品最初で最後の戦闘シーンは最終回の約11分50秒から始まる。
いきなり動かさず、システムチェック、アイドル状態を挟んでロックを解除する溜めから始まる。
狙うは倉庫の壁。本来出られないところから出るために(タケミカヅチが修理完了していること、出撃することをギリギリまで悟らせないため)わざと中からぶち抜く決断をする。
そして軍隊の流儀に則って日本陸軍の突撃ラッパ(攻撃開始)を吹いてから戦闘モードを開始した。
その後約13分15秒でフィリシアの撃ての合図から砲撃、倉庫がばらばらに崩壊するところから一気に劇伴と盛り上がっていくのだ。
天井から梁が落ちてきて、画面上(描写から見れば天井の空いたところから)から夜の光が差し込んでくるところは、多くのしがらみをぶち壊しても意地を押し通す覚悟と世界からの祝福を表しているだろう。
行く手を阻む戦車隊とホプキンス大佐から容赦のない機銃弾と砲弾を多数受けても破損せず、それどころか戦車の足を正確に撃ち抜いて行動不能にした。
また至近距離で砲撃を仕掛けたホプキンス大佐の戦車にはタケミカヅチの足を天面めがけて振り下ろし、そのまま雪中に埋めてしまうほどの重量(あるいはエンジン出力)を見せつける。
このことから可能な限りの不殺を狙っていたのは明白である。
ホプキンスは雪崩に飲み込まれていったが大丈夫かは不明。普通に考えたら死ぬか。
それと後のシーンでは明らかに搭載武装であるミサイルランチャーが全弾装填されていたことから、殺すこと前提ならもっと派手に(かつ損傷は抑えて)いけたのだ。ただスモークくらいは張っても良かった気がする。

カナタが最後の演奏するシーン、背後から眼下に広がる進軍を見せつつ境界線にカナタがいることが描かれた。
あれは両軍がぶつかる境界線だけではない。時間は夜明け前という区切り、戦いでぶつかる位置の区切りに加え、カナタの行動次第でまだ何か起きるという最後の可能性を示した区切りなのだと暗喩していた。
演奏中に下を見下ろすところから徐々に見上げるようにカナタの側面と昇る太陽を見せ、下の兵士たちからも見上げるような遠景の描写となった。
最初、両軍の進行は平行的に(兵士と同じような目線で)描かれ、カナタたちを見るときは見上げる構図、カナタたちからは見下ろす描写となっていた。
リオはまっすぐ前を見ており、位置は戦車の上なので兵士たちからの目線は上、戦車の陣形を見せたいので見下ろし、遠くの近衛を見せるときは兵士と同じくらいの高さからの遠景とかなり細かく視点が動いた。
視点ひとつ、影ひとつで演出の意図がある以上、何も考えないで細かく切るなどありえないだろう。
わかりやすいイメージだが、上は希望や明るさ、下は絶望や暗さを表現しやすい。
遠くで多くの部隊が展開され、これ以上の戦闘行為を続けるなら制裁すると脅されていたが、遠景であった以上それほど重要ではない。
近いものほど情報量が多く、重要だ。
つまり、講和がなったことを告げたリオの姿、言動、証書から読み取る方が重たい。
もっと言うなら、そのための時間を生み出したカナタたちはより上位の重たさを持っている、ということに繋がらないだろうか。
カナタたちが伝承の炎の乙女たち、アイーシャが天使、タケミカヅチが巨大なクモ。
伝承上の存在に見立てるから皇族でも人間であるリオとは位が違うので、彼女たちはより高いところにいたと考えられる。

さいごに

ソ・ラ・ノ・ヲ・トはアニメノチカラというオリジナルアニメ制作プロジェクトの第1弾として放送された。
当時特番で3作品分(記憶違いだったなら本作と閃光のナイトレイド)が紹介されており、各作品1クールの代物だった。
残念ながら3つで終了してしまったものの、こうしたアニメプロジェクト自体はそれなりに生み出されている。
原作つきより評価が荒れやすくもまっさらなものが見たい人は、ぜひこういった知名度の低そうなオリジナルアニメを楽しむといいだろう。
全12話+番外編2話のうち、番外編は残念ながら配信されていない。
一応公式サイトでは今も番外編の第13話のAパートが視聴可能である。
本来はBD&DVDの特典として限定のエピソードだったために仕方ないとはいえ、その後が見られないのは残念だ。
放送版の最終回の第12話はあっさりとした最後で見終えたときのさっぱりとした感じも、それはそれですっきりしているので好みではある。
それなりに配信サイトで配信されているので、気になればぜひ視聴リストに加えていただきたい。



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